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  湧源 (ゆうげん)



 最近読んだ書物の中で、数学者の広中平祐氏が、この言葉を好んで使
っておられた。私もこの言葉に大変、心を動かされた。
 「湧源」というのは、“泉の源”のことで、湧き出る泉のもとを指す言葉で
ある。英語で表現すると「ソース」という言葉になる。これに関連する言葉
に「シンク」というものがある。最近では「シンク・タンク」「シンク・ハンター」
なる言葉が日本では使われている。つまり「思考」とか「頭脳」と解されて
いる。
 言葉を換えればシンクとは吸入口であり、“湧き出た泉”を吸い取り、こ
れを基に思考し、発展拡大する作業を指している。(日本人はこれを最も
得意としている。)

 かつて私の師である骨法武術の堀辺正史先生が、師とは“くんでもつき
ない泉”のような存在でなくてはならないと常々おっしゃっておられた。
“くんでもつきない泉”つまり、これは「湧源」という言葉と同義であろう。
 シンク=思考は、誰でも可能なことである。しかし、「湧源」をめざすのは
至難の道である。日本人は外国人のソースを基に、日本人の持つ誠実、
勤勉、団結(組織)によって、そのシンクを最大限に発揮させて、世界有
数の工業力、経済力を手に入れて来た。しかし、吸い取るだけでは後ろ
指をさされるのは当然のことである。これが昨今の日本たたきの元凶の
ようである。
 これは、どこの国でも成し遂げられてきたかと言うと、私はそうは思わな
い。日本という地理的条件、歴史性、気候、風土の中から作り出された日
本人のもつ世界観、自然観、生命観がベースにあり、それを生み出すソ
ースがあってこそ、成就できるものであろう。単なる“猿まね”では到底無
理なのである。

 では日本人の“ソース”となる部門は何かと言うと、それは“素直”では
なかろうか。それは、日本の文化の核と言われる神道観の中にみる八百
万の神に代表される偏らない思想、つまり、空の神、山の神、海の神、川
の神、土の神といわれるように、我々をとりまく自然の中に、それを征服
するのではなく、その中に神を見出し、あがめ、身を清めてその神の声を
貞く(きく)、その“素直さ”がその物本来の輝きと本質を発見する原動力と
なっているのではなかろうか。
 これが、我々日本人の誇れる“思考の源泉”と言えるべきものなのでは
なかろうか。