有本政治随筆集にもどる
 トップページへもどる
  何も難しい問題ではない。例えば人が倒れていたとする。その時、この
人は死んでいるのか、生きているのかを判断するのは、「息」をしている
(息している=生きている)のかどうか、「心臓は打っているのか」、「温か
いのか」、この三つで計っている。つまり「息」と「動」で判断している。 
呼吸(いき)とは、「息」であり、「粋」であり、「生き」なのであり、命(いの
ち)とは、「息の中(いきのうち)」なのである。
 これが私たち日本人の生命(いのち)に対する素朴な生命観であり、ま
た、これが本質ではなかろうか。
   
 新鮮な「さしみ」を食べるのに、今「活魚」がもてはやされている。現代医
学の「臓器移植」は、「活魚」と同じ新鮮な「臓器」がほしいのである。その
ためには、「脳死」を死と判定するしかないのである。
 歪められた思想の上に、「誤認」に誤認を重ねる現代医学、この流れを
止めることができない「今の自分」、何かが狂っている。
「命」は「活魚」とは違うんだと叫びたくなる。
いつの日か、東洋的生命観に立脚した真の「医学」が確立し、一般大衆
も安心して身を任せられる理想の医学が実現することを期待して、今は
「感情的現代医学批判」とでも題しておこう。
 

                               1991. 7.17