叫ばずにはいられない(「脳死」と「臓器移植」)
「脳死」と「臓器移植」の問題を取りあげようとすると、大変深い問題が
その根底に横たわっている。
それは「生命とは」「医学とは」という命題にぶつからざるを得ない。
現代医学的「生命観」「人生観」からすれば「脳死」と「臓器移植」という
問題は、ここにいきつくしか方法がないという必然的傾向と言わざるを得
ない。現代医学主流の現在にあって、この流れは誰も変えることが出来
ないし、また必ずそうなるであろう。これは、根底的命題である生命と医
学の根本思想が歪められた形で現代医学が成長し、一般大衆もこれが
唯一最善の「医学」と容認している現状においては当然と言うほかはな
い。しかし、日本伝承医学を研究・提唱している私としては、何か釈然と
しない、何かを語らずにはいられない。
「何か狂っているんだよ」「何か違うんだよ」と心の裏(なか)で叫んでい
る自分に気付くのである。
日本で生まれ、日本で育った私たち日本人の死生観の中には、私の
この心の裏と同じ人が何人もいるはずだ。「生きる」とは、「命」とはそん
なものじゃないんだと。
いかに現代医学的病因論に汚染された現代人の頭脳であっても、こ
の「脳死」と「臓器移植」の問題に関しては、私の心の叫びと同じものが
渦巻いているはずだ。
「生きている」ということは、動いているということであり「息(呼吸)」をし
ているということなのだ。日本人は、この息(呼吸)が動きの本質であり、
日本語の表現には「その息(呼吸)、その息(呼吸)」、「もうひと息(呼吸)」、
「息(呼吸)があがっている」というように、動きの本質的な要領を示した
り、ある目標を示したり、人間関係までも表現している。また、日本人の
健康(生死)を計る尺度でもあった。