ものを見る視点(西洋と東洋)
東洋医学(日本伝承医学も含めた)における、実証性、合理性を承認す
るか否かの「カギ」は物事の把握方法ないし認識方法にかかわる。東西
両医学における違いを違いとして、正当評価しうるかどうかにかかってい
ると思う。
すなわち問題の要は、物事を解明して内よりその仕組み、構
成を追及している西洋風のやり方と、それを解体せずあくまでも外よりの
観察を通じて内に迫る、あるいは中味のありかたを「まるごと全体」として
とらえるとともに、その観察成績を集積、整理、体系化、法則化してゆく知
的手続きを経てその仕組み、構成をトータルなままに把握しようとする東
洋風。
両者の「違い」を「優劣」ではなくて「特徴」として正当に評価しえている
かが重要な「視点」ではなかろうか。
日本の近代化の大きな「弊害」は、この視点を忘れ、無視して西洋風の
土壌に立っての方法論を金科玉条にして、すべての価値基準を下したこ
とであろう。
そのためにそれまでの日本の伝統文化の中に根ざしてはぐくまれてき
た、幾多の貴重な生命遺産を消失してしまったことだ。
しかし時は流れ、今日西洋的な物の見方、考え方に「限界」がみられ、世
界の動向は東洋的な総合・全体を前提とした「ものの見方」に動きはじめ
ようとしている。
世界の生命科学者も、そろそろ分析と機械論偏重の生命研究に行きづ
まりを感じてきているようだ。生命あるものを解体して分析しても、そこに
生命の本質をみつけることはできなかったのである。
今こそ東洋の精神、則ち全体・総合・心の働きの重要さに気づかねばな
らぬ「機」が熟していることを悟らねばならない。西洋的・科学方法論だけ
が、すべてのものを決定する価値基準にはならないことを肝に命じるべき
であろう。