医療を志す人の心構え 今、教育を考える
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「武医同道」とは私の治療室に飾られていることばである。
武道は、いかにして喧嘩に勝つか。つまりやるか、やられるかという、つき
つめれば生死を問題にした場合に用いる技術を練ることである。
医道もまた、人間の健康の回復、ひいては生死にかかわる際に、技術
を駆使して生命力を回復させていくことである。
片方は「殺」を問題とし、一方は「生」をテーマとする。いわば表裏の関係
にあるものである。人間にとって最も大切である、生きるか死ぬかを決定
する際に用いる技術のことである。
これに従事する人間にとってこのことを、心構えの根底に常にすえてお
かないと何年修行しても、身につかない技術であることを銘記したい。目
的意識をはっきりしておかないと、大変な間違いを犯しかねない。つまり
診断のミス・技術のミスが死につながるということである。
武道においては、喧嘩においていかに相手を倒すかが本質であり、武
道を修行することで、健康に役立ち礼儀正しくなり、精神修行になる、とい
ったことを第一の目的において、武道の修行を何年積んでも強くなるはず
がなく、実戦の役には立たないものである。
武道の本質である、いかに相手を倒すかという武道心を持って、技を練
らないかぎり武道から得られるものは無いに等しい。
精神修行などというお題目をいくらとなえたところで、そんなものは身につ
くものではない。
喧嘩にしても勝つという自信と強さが、喧嘩のばからしさを知り、人間愛
や優しさも生まれるものだと確信する。
喧嘩に勝つ。いかに相手を倒すかを真剣に修行する過程に教育価値が
あるのである。つまり物事の本質を知り、それに合致した目的意識をもつ
ことが大事なのである。
武道においては、勝負は明白である。医療においても結果はすぐに答
となってあらわれてくる。
医療の本質である、病める人を治せるか治せないか。いいかえれば、生
かすことができるかが目的である。
医療を志す人は、これを根底において学習・技の修行をすることである。
聞きかじりの理論を振り回し、技の形だけまねたところで、実戦には使え
ない。
医療人は、サロンや美容室を経営するのとはわけが違う。 あくまでも、
生死の時に使う技を磨くという目的意識だけは失ってはならない。
1988. 12. 21
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