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稲妻の如く、牛歩の如く



 つい先日、恩師の死に接し、その悲しみと人の一生の、はかなさを目の
当たりに感じるにつけ、人の一生について私の感じるままにつづってみた。 

 地球生物(人を含む)が、この地球という環境の中で、水と空気と土を媒
体に生まれてきた。「母なる海」「母なる大地」「母なる空」とでもいえようか。
視点を変えて、その存在をみると、「液体」「気体」「固体」という存在となろう。
 人は、この条件の中で生まれ、また死んでゆく。死してしかばねとなり、
気体として空へ、液体として海へ、固体として大地へ、それぞれ還ってゆ
く。そして、また、生々流転して行く。この悠久の積み重ねが今、地球上
に生を受けている今の我々の姿である。
 「時は流れるのではなく、積み重ねである。」人の一生も、この積み重ね
の中にあるのではなかろうか。 
 人の一生は「水」の如く、多重な構造を持っている。あるときは、霧や雨
のように気体として存在し、あるときは液体として、水は清らかな清流とも
なり、あるときは濁流の如く、また、静かに水をたたえた湖の如く、ひねも
すのたりのたりの大海の如く。また、固体として、白くそびえる南極の氷の
如く、水はその条件の中で、固体・液体・気体と幾重にも変化してゆく。
 この水の如く、人の一生も様々に変化した多種多様な生き方があろう。
 しかし、帰する所は(空と大地と海で構成される)母なる地球なのだ。

 稲妻の如く生きるも一生、牛歩の如く生きるも一生、矢のように流れる
ときもある、牛歩のようにゆっくりと流れるときもある。
しかしそれは流れたのではない、その一瞬一瞬を積み重ねていったので
ある。10年先の自分、20年先の自分をだれが予知できよう。
先を考え、結果を考えるから、とらわれて身動きできなくなる。そして、何
もしないで、空しく時を過ごしてゆく。
 稲妻の如く生きようとも、牛歩の如く生きようとも、その一瞬一瞬を大切
に積み重ねてゆくしかない。

 過去は流れ、消えてゆくのではなく、それは積み重ねられてゆくのであ
る。日々の変化の積み重ねの中に今の自分がある一瞬一瞬を精いっぱ
い積み重ねてゆくしかないのである。
そして静かにまた母なる地球に還り抱かれてゆくであろう。


                              1991. 10. 16