学習の基本



 「学問は何の為にするのか」と聞かれた時、はたして何人の人が明解な
回答を出せるであろうか。学問をする意識などと四角ばったことはどうでも
いいではないか、と思うかもしれないがそうではない。この意味を知らない
と、まったく学問をした意味がなくなるほど大切なことなのである。
 学問をするということは、「自分の身近にある様々な問題を効率よく、合
理的に解決する」ために行うものである。
自覚に基づいた行動でなければ、ただ時間を費やすだけで本当の「実り」
は得られないのである。

 学問は、「机上の空論」であってはならない。
実生活と結び付いて初めてそこに人間(自己)が介在出来る。万巻の書
物を読み、いかに優れた師や友と接しても、自分の身近にある諸問題を
解決できなければ、何のための学問かと言いたくなる。
  例えば遺産相続の問題があるとする。それを効率よく、合理的に解決
するためには、法律の基礎知識、数学(算数)、社会科の政治・経済の知
識などが備わっているのといないのとでは、問題解決に雲泥の差が生じ
るのは歴然である。
 こう考えると、中学・高校時代の勉強がそのまま実生活と結びつく存在
となってくる。故に単なる「机上の勉強」、「受験の為の勉強」ではなくなる
のである。

 全ての学問が実生活の諸問題の解決に実は不可欠なものであり学問
する意義はここにあると言ってよい。このように、学問は実生活の中に生
かしてこそ「真の学問」となるのである。
 こういう認識を持って学問(勉強)に取組んでいれば、自ずと一般教養の
大切さをも自覚できるものである。専門の技術の勉強に一般教養がなぜ
必要なのか、大学の4年間の中になぜ専門外の一般教養課程があるの
か、この解答も実は前述したのと同様に自己の存在と実生活の全てに関
わって、かけ離れたものではないのである。

 




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