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  それぞれの焦点(フォーカス)



  フォーカス(焦点)とは、某写真週刊誌の名称で最近では、「フォーカス
された」とかいって、妙な意味合いに使われているが、 真実は一番ピント
の合った状態を指す言葉である。 カメラのレンズのピントの合った状態で
あり、「もの」が一番はっきり見える「距離」を指している。これが狂ってい
る状態をいわゆる「ピンボケ」と称している。また、ボーッとしている人をか
つては総称していた。
  ここに一枚の写真があるとする。そこには絶世の美女が微笑んでいる
としよう。私はその写真を見る時に、一番焦点の合う距離が30センチだと
する。しかし近視の人はもっと近くて10センチがちょうどよく、遠視の人は
50センチがちょうどよい。つまり、人それぞれでその焦点距離は違うので
ある。

 自分が30センチの距離で一番はっきりと見えるからといって、他人もそ
の距離で見るのが一番よく見えると思いがちになり、その「距離」を勧め
たくなるのが人の世の常である。特に親が子に対して何かをさせたり、期
待したりする場合に陥りやすい「落とし穴」である。確かに、美女の写真を
見る場合、1センチの距離にするとまったく見えないし、10メートルの距離
になるとまた同じく見えない。
 このことを子どもに教育するのは、親のつとめであって、この愚を犯させ
てはならない。しかし、“この「距離」で見なさい”というような類いのことを
意外と気付かないでやっている場合が多い。「個性尊重」とうたいながら
もこのことを忘れがちである。
 現在の教育は総てを画一化して行おうとし、その人その人の「個性」を
見失わせる傾向が強い。つまり、現在は「没個性」と言われる所以である。
 
 人それぞれで見える焦点距離は違う。違うからこそ、他人と「差異」があ
り、はじめてその人の「存在」がそこにある。「差異」がなく同じであったら、
その「存在」は失われる。 親子、夫婦、恋人、友人。親しくなればなる程
「同一化」させたくなる。
 しかし、「個の自由」を尊重した中での「同一化」でないと、それは「退化」
につながる。人は皆同じ焦点ではないという事。つまり人それぞれの「個
性」を尊重しあう生き方が出来たら、それはすばらしい「進化、発展」につ
ながると思うのですがいかがでしょうか。

    
                               1990. 11. 21