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 つまり「知恵」は低レベルで、「学問」は高レベルというこの優劣の判断
の構図は改めるべきであろう。
 学問とは何かというと、自分の身近にある諸問題(生活と密着している)
をいかに効率よく、合理的に解決するかを目的として行うものである。
 現代においてはその本来の目的とはかけ離れて、学問だけが先行
(机上の空論)し、ああでもない、こうでもないとコトバの遊びに終始して
いる傾向がなんと多いことか。もっと問題を俗世間レベル(実生活)に戻
して科学の理論的基礎、言い替えればその方法論、さらに言えば科学
の哲学から出発し直さなければならない時期に来ているように思えてな
らないのである。
 それは、「知恵」は低レベルで「学問」は高レベルという色メガネをはず
さない限りは、もうこれ以上の発展はないと言ってもいいであろう。 古
代人の優れた「知恵」に学ぼうとする謙虚さを失っていることに、私は憂
うのである。

 最近、「おばあちゃんの知恵袋」なる書物が出され、そこには文明人が
忘れていた生活に密着した「知恵」が凝縮されており、学ぶことが多々あ
るようだ。
 「知恵」と「学問」、どちらが高レベルかということを論ずること自体がナ
ンセンスであり、実生活と離れた「学問」が先行する現代にあっては、ま
すます古代人の「知恵」に学ぶことの重要さが浮き彫りにされ、これに目
を向けない限り学問の真の発展は今後期待できないのである。
まさに、この「知恵」の中に「もの・こと」の真理があるのではないだろうか。