日本伝承医学の治療は、手技で骨に圧を加え、造血幹細胞を再生、新
生させていく。そしてゆり・ふり・たたきという操法で機能低下した臓器を回
復していく。婦人科疾患には、最も強い技術といわれている。半年間の有
本先生の治療、通院で私は再帰した。生理のたびに大出血していた出血
も、ほぼおさまり倦怠感は少しづつ消えていった。私は日本伝承医学に出
会うまで、病気とは完全に悪いものだと思っていた。敵視していつも自分の
中で闘ってきた。筋腫とは、子宮という女性にとって、ある意味いちばん安
全な場所におできを作り、余計な熱を体外へ排出させて命を守ろうとしてく
れているもの。私の中から、病気と闘っている自分がいなくなっていた。
あるがままを受け入れ、いつのまにか共存し、共生していた。子宮筋腫は
まるで小さく、体内で化石になっていったかのように、私にわるさをしなくな
っていった。
 今でも生理のときには不安になる。また大出血を起こしたらどうしようとこ
わくなる。立ちくらみでプラットホームから落ちそうになって、人から助けられ
た瞬間。路上で倒れ、気を失って救急車に運ばれたときのこと。担架に乗せ
られ、駅の階段を上り下りしたこと。「このままでは死にますよ。」 と言われ
たときの死への恐怖。私は子宮筋腫という症状を通してさまざなな体験と思
いをしてきた。生と死がいつも紙一重で反転しているような日々だった。
「大出血で何がこわい?」と聞く彼女。
「もれるから」と言う私。
「じゃあ、紙パンツにすればいいじゃない。あとは何が不安?」
「死ぬんじゃないかと思っちゃう。」
「じゃあ私が看取ってあげる。それでいいじゃない。どこで倒れていても、大
出血で血まみれになっていても、私が駆けつけて看取ってあげる。もうこわ
いものないじゃない。」
彼女はほほえみながらまじめに言っていた。
肩の荷がスーッとおりたような気がした。彼女はいつも私に言う。
「みんな百パーセント死ぬのよ。みんな体験することだから、こわくないのよ。
 生まれたときも、人はひとりで生まれてくるのだから、死ぬときもたったひ
とり。
 孤独だけど、こわくはないよ」
今私はその彼女と毎日、元気に仕事についている。中野ブロードウェイの
商店街の一角で介護用品のお店を営んでいる。月の半分も出られなかっ
た私は、あれから一日も休んだことはない。生理の二日目はいまだに不
安から、おむつ型の紙パンツをはいているが、休まず仕事についている。
 有本先生の治療は月に一度受け、定期的に体を整えてもらっている。
「日本伝承医学は、家庭でだれもが行える家庭療法です。」
有本先生は病気のかたがたが自宅で家庭療法として行えるように、家庭
療法講座を開いている。かつてソウルオリンピックにトレーナーとして同行
し、村山元首相の奥様を首相官邸で施術にあたったほどの名医。しかし、
先生は少しもおごりたかぶることなく、自分の知識、技術を一般の方々に
惜しみなく伝え、多くの方々の健康を維持している。             
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