双方の沈黙の後「じゃあ再度前日に来てください。」それだけだった。
私の顔も見ない。体にも触れない。それでも医者なのか。病院をあとにし、
私は泣きたい気もちをおさえ、やっとの思いで彼女の待つ仕事場へたど
りついた。
「検査どうだった?」 彼女は真っ先に聞いてくれた。
「・・・」
ことばがでなかった。何か発したら泣き出してしまいそうでこわかった。
「どうした?」いぶかしげに私の顔をのぞきこむ彼女に、私は洗いざらい
話した。まくしたてた。泣きじゃくりながら。
「わかった。やめよう。」「その人は信用できない。今からでもおそくない。
手術はやめよう。」彼女のストレートなことばに私ははっと気づかされた。
 病気も体に生じる症状も、すべてその体が生を全うさせようとする姿。
私はもう一度だけ自分の体を信じてみようと思った。その日の夕方、私は、
執刀医に手術を中止してもらうために電話した。「ああ、そうですか。」あの
瞬間とまったく同じことばだった。この医師の口癖なのだろう。しかし医師
が人として患者をみていく上で言ってはいけないことばだと思った。医師は
病気や症状をみる前に、その人、その人間をみるべきだと思った。電話を
切ったあと、悔しさでまた泣いた。
 私と子宮筋腫との闘いは振り出しに戻った。あれだけ手術に反対してく
れていた有本先生の所へはどうしても戻れなかった。先生を裏切ってしま
った罪悪感だけが残った。
「東洋医学の分野はまだ他にもある・・・」私は自分を納得させた。
この日から東洋医学所めぐりが始まった。整体医、漢方医、気功師等、あ
りとあらゆる分野を高速にまわった。だけど誰も私をみてはくれなかった。
この頃からすでにホルモン剤の後遺症が出始め、更年期障害の症状があ
らわれ始めた。ホルモン剤をやめてから、その副作用が体から消え去るま
で半年かかる。ある意味ホルモン剤とはそれだけ強い、こわいものなので
ある。この苦痛があと半年も続くのか。私はまた絶望感におそわれた。
彼女が言った。
「有本先生の所へ行こう。」
「いまさら行けない。どんな顔で私に行けというの?」
「どんな顔だっていいじゃない。一緒に行こう。先生の所へ帰ろうよ。」
彼女の強い意志におされ、私は手をひかれながら、先生の元をたずねた。
「手術を断念されたこと、良かったと思います。」
こう言われた先生に彼女は
「傷ついた心の部分は私が請け負います。先生は技術で治してください。」
と言っていた。
 次の日から私たちは出勤前早朝の時間外に診察してもらうことになった。
ひとりではどうしても行かれなかった。彼女が根気強く毎回毎回、私の受診
に付き添ってくれた。体からホルモン剤が抜けきるまで、丸半年かかった。
次のページへ