「体に起こる症状は、死なそうとするのではなく、生きるための正への対応
の姿です。」常にそう言われていた有本先生のことばが遠くでこだました。
手術だけはしたくなかった。我慢と迷いだけで月日がたち、排卵のたびに、
痛みは日に日に増していった。月の半分は仕事に行かれないどころか、床
に就いたまま、まったく起き上がれない状態にまでなっていた。収入がなけ
れば暮らしていけない。友人で経営者でもある彼女は、すべてを私にとって
都合がいいように計らい、配慮してくれた。
ありがたさと同時に申し訳ない気もちでいっぱいだった。と同時に何とか治
りたいというあせりだけが、私の精神状態をますます追い込んでいった。
大人用の紙おむつをあてても、一晩でシーツまでもれる出血量。大出血と
不安、眠れない日々が続き、心身ともにくたくたになっていた。子宮筋腫は
子宮におできを作り、出血と共に体外に熱を排出している、命を守る対応の
姿。それを取り去ってしまったら、体はまたその次の対応にせまられる。そし
て最後にはがん≠ニいうものを作り、それでも体は命を守ろうとしていく。
だからがんも命を守ろうとしている対応の姿。
その原理は頭でわかっていても、体と心がすでに限界に達し、もうついてい
けなかった。私は手術を決意した。近くの総合病院の紹介で、レーザーで筋
腫をけずる治療の名医といわれる先生を紹介してもらった。子宮全摘ではな
い。これなら大丈夫かもしれない。何度も何度も自分に言い聞かせた。娘が
いる。まだ死ぬわけにはいかない。
筋腫をけずる準備で私は、その大学病院ですぐにホルモン剤を処方された。
ホルモン剤により人為的に半年間生理を止めて筋腫を小さくしてから、けず
る手術に入るといわれた。淡々とした説明だった。名医といわれるこの先生
の元に何千人、何万人という人々が全国から訪れる。同じことば、同じ台詞
をこれまで何万回と言ってきたような、ラジオから機械的に繰り返し流れ出て
いる音声のように感じた。ここには私の心も、私の希望も、私の意見もなかっ
た。私はただ言われた通りにホルモン剤を注射し、止血剤を服用し続けた。
ひと月も立たないうちに副作用が出始めた。だるい。体重が異常に増える。
頭が痛い。やる気がおきない。気持ちが悪い。受診のたびにその症状を訴え
ても「我慢してください。ホルモン剤ですから体は多少のバランスを崩します。」
といつも一辺倒な答えが返ってきた。自然に起こる排卵を薬で無理に止めて
しまうのだから、体がバランスを崩すのはあたり前なんだ。
私に我慢が足りないんだ。常に自責の念にかられる日々が続いた。ホルモン
剤の服用で生理が止まり、大出血の恐怖からは解放されたが、身体のだるさ、
倦怠感は消えることはなかった。早くらくになりたい。ただそれだけを願うように
なっていた。
半年のホルモン治療の後、手術を四日後にひかえた、最後の検診の日だっ
た。激しい動悸とめまいにみまわれ、私はその症状を執刀医に告げた。
開口一番 「ああ、そうですか」 私の聞き間違えではない。明らかに音声に
出た、心ないことばだった。不安げな私の顔を最後まで見ることもなく、ただ
カルテにだけ目をやり、脈もみず、執刀医は目を伏せたままだった。