〜健康であるということ〜

 父は東大卒のエリート。一流会社に勤める転勤族だった。母は慣れない
土地での育児に追われ、やりきれない寂しさから外出してしまうことが多く、
私はひとり家に取り残されることが多かった。「おなかが痛い、頭が痛い。」
新しい小学校先で「転校生です」と紹介されるたびに、私は全身にだるさと
腹の中から切り裂かれるような痛みを感じた。生まれつき心臓と肺の機能
が弱く、すでにこの頃から子どもにして、頭痛薬を手放せない状況だった。
そのせいで、胃腸をこわすことも多く、体はいつもだるかった。つらかった。
高校の時、友人関係での心労から十二指腸潰瘍になり、体はますますボロ
ボロになっていった。
 大学でテニスのサークルに入った。自由で束縛されない大学生活は、体
に感じる倦怠感を忘れさせてくれた。でもそんな日は長くは続かなかった。
春合宿直前のこと、ひざが急にはれて、激しい痛みでテニスができなくなっ
てしまった。近くの総合病院の整形外科にいったところ、レントゲンをとられ、
医師から即、「骨が腫れてる。いっさい運動はしてはいけない。このままで
は手術になります。」と告げられた。このまま手術になるということばに、目の
前が真っ暗になった。私は、そんなに悪いのか。わらをもすがる思いで自宅
から少し離れたもう一軒の整形外科を訪れた。前の病院でいわれたことを、
その医師に告げた。同じくレントゲンをとり、診察し、「たしかに腫れています。
でも手術はしなくていいと思います。疲労性のものだと思われますが、痛みが
あるうちは、運動は無理でしょう。」と。結果はありきたりの湿布薬が処方され
ただけだった。
 病院は医師によって診断が違う。医師の診察は絶対ではないんだと、この
時初めて思った。どちらの医師も私の気持ちは無視して、ひざという患部だけ
しかみてくれなかった。合宿には何が何でも参加したかった。知り合いが、東
洋医学の分野である、日本伝承医学の有本先生という人にみてもらっている
ことを思い出し、紹介してもらった。ここで同じことを言われたら合宿はあきら
めようと思った。心細さと精神的不安から、ひざの痛みはますますひどくなっ
ていた。
 有本先生は、まず私の話をひとつひとつ根気強く聞いてくれた。
「それはとても不安な思いをされましたね。でも大丈夫です。清水さんのひざ
は今の季節、春という時期の肝臓の弱りと、体質的に腸が弱いところがある
ために起きているものなので、体の内部の機能から整えていけば良くなりま
す。」と言ってくれた。
「大丈夫です。」初めて心中に訪れた安堵感だった。うれしかった。この先生
なら信頼できる。この人の言う通りにしようと思った。
体は単に患部だけではなく、内臓、内部の弱りから起因する。ひざが痛くて
腫れるのは、体質や季節も関係しているということをはじめて知った。

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