こり・痛み・しびれ・まひは人体への警告反応



 病気というものは、けっして突然になるものではありません。よくいわれ
る突然死などの表現は、本来適切ではないのです。
本人がその兆候に気づいていなかっただけなのです。病気というものの
根拠と機序を理解できていないために、このような表現にならざるを得な
いのが現状です。
 「生へのプログラム」がなされている生命体は、生き残るための“戦略”
と“戦術”を完璧に備えています。故に突然に崩壊(死)ということはありえ
ないのです。
 「命の階層構造」の項で、国の防空システムを例にあげ、監視警報シス
テムから、幾重にもはりめぐらせた段階的な対応システムを紹介しました。
戦争に例えれば、お互い拮抗した戦力をもっていれば敵がいきなり
侵入し、すぐに敗戦ということはありえません。敵の爆撃機や長距離ミサ
イルが飛来すれば、それを事前に察知するため監視警報システムを備え
ておくことは当然の処置になります。


 また別の例として、自動車のエンジンに例えれば、エンジンの調子を見
るために、エンジンを分解してそのたびに、中の様子を見るようなことはあ
りえません。内部の異常を知らせる数々の表示、警報システムを装備して
いる車は、誰でも知っています。故に生命体である人体が、いきなり病気
になって死に至るという“愚”をおかすということは考えられないはずです。
 人体は、事前の表示、警報システムを完璧に、精妙に備えているのです。
人はこのような観点で人体を考えたことがありません。考えたことがない
ということは、この兆候を見逃してしまうことになります。兆候が出ていた
にもかかわらず気づかずに過ごしていたがために、突然死という表現が
使われることになってしまったのです。


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