ココロの緊張と病発生の機序

 心のバランスがくずれ、常に心の緊張が持続するとそれがどういう機序
で身体に影響し、段階的に病にまで移行していくかを、解説してみたいと
思います。さまざまな角度からアプローチできますが、ここでは体内電気
とその補充充電に的をしぼって考察してみます。
 まず東洋医学の古典にみられる病因論を参考にして古代人の知恵の
中にその解答をさぐってみましょう。
 鍼灸医学のバイブルと称されている「素問(ソモン)」という古典書があ
ます。これは約2500年くらい前に中国で著されたもので、すでにこの時
に中国では、医学が体系だった学問として成立していました。素問という
古典の中の第一章に、上古天真論篇という一文があります。これは病に
ならないための養生法が解説してある個所です。その文中に以下のこと
ばが記されています。
 「恬淡虚無(テンタンキョム)ならば、真気(シンキ)これに従い、精神内を
守れば、病安(ヤマイイズク)んぞ従い来たらんや」という一節です。これは
どういう意味かといいますと、『捉われのない心で生活していれば、身体
に電気が充電でき、心が身体の中の機能を健全に保つ。病気がどこから
やって来ようか、来ることはない』という意味になります。古典書の1ペー
ジに書かれているこのことばに、健康法のすべてが凝縮されています。
これが病にならないための養生法の第一の基本です。


 “捉われない心”と異釈すれば、ストレスを持続しないで心を脱力するこ
と、心の集中と脱力のバランスを乱さないという意味に解釈できます。
しかし心は脱力さえすればよいのではありません。時によっては集中、緊
張しなければならない場面は生活の中で、不可欠な要素となってきます。
ふだん脱力していればいるほど体内に電気が補充充電され、必要時に瞬
時にしてものすごいエネルギーとなって電気を集約させ、集中、緊張する
ことができるのです。
 子どもや動物は自然に、この心の緊張(集中)と脱力を使い分けています。
子ども時代は、おとなのような捉われの心が少ない時期です。自分が夢
中になって集中して何かに取り組んでいる時は、寝食を忘れても疲れま
せん。また野や山を一日中でもかけまわっていても一向に疲れを知りませ
ん。しかしひとたび終えて家に帰ると、食事もしないで、コロンと横になっ
て死んだように眠ってしまいます。そして翌日にはケロッとしています。つ
まり、心の緊張と脱力のバランスの取り方が実に見事なのです。

天然にこれを使い分けているのです。おとなはこうはいきません。野や山
を一日中かけまわる体力もなければ、すぐに疲れるし、何か食べなくては
体力が回復しないとか、すべて頭(脳)で考えて行動してしまいます。
実は、この脳(頭)の使い方がすでに“捉われの心”になっているのです。
次のページへ