がんを捉えなおすは2003年に記したものになります。
「がんを捉えなおす」はじめに 2003.11.19 有本政治      

 がんという病気は、最も恐れられ不治の病、死の病、つまり悪の権化と
いうイメージで一般的には捉えられています。しかし命というものを根底か
ら見直し、がんの本質を正しく理解すれば、今まで見えなかった側面、真の
姿が浮き彫りになってくるのです。
 がんに対する認識をあらたにし、その予防法・対処法を提示することで
現在行われているがん治療の選択肢の中に、もうひとつのあらたな選択肢を
提供できるものと確信しています。「がんを捉えなおす」というこの試みが、
今、力強く生き抜こうとしているかたがたにとって、一筋の光明とならんこ
とを願って、この論は書き記していきたいと思います。

 がんに対する認識をあらたにしていただくためには、まずがんに対する偏見
を取り除いていかなければなりません。偏見とは、偏ったモノ・コトの見方
です。モノ・コトには一方的ということは存在しません。表があれば裏があ
るように、自然界や社会を貫く法則は、すべては正・反の二面性を有してい
るという事実です。
 悪の権化と思われているがんも、正・反の二面を有しているという視点
捉えなおしてみると、今までまったく見えなかった面がみえてくるものです。
この視点に立って、「がんを捉えなおす」というテーマは展開していきます。
 結論的にいえば、がんという病は、命を存続させるための最終的な対応の
姿ということになります。最終的な対応ということは、その前段階として、
何段階もの命を守る対応の形が、人体に症状としてあらわれてくるとい
うことです。

 「がんを捉えなおす」シリーズは、病の本質を炎症()として捉え、恒温
動物である私たちの人体が、36度5分という体温を恒常的に維持していく
ために、体内に発生した異常な熱をどうすてていくかにスポットをあてて解
説していきます。「病気とは熱との闘い」と定義し、病とは何か、症状とは
何かを例をあげながら説明しています。
 命を、個体である私たちの身体の中だけに限定せず、命の範囲を命あるも
のとして、地球・国家・社会・家族という階層的に生きている状態として幅
広く捉えていきます。「生きている状態」という幅広い把握方法は、命の本
質を探る上で、とても大切な思考法です。生命体という一個体の中からの探
究では見えなかった、命を存続させている法則が見つけ出せるからです。

 「がんを捉えなおす」シリーズは大きな柱として、熱をすてる五段階の対
応システムを中心に展開していきます。
 人体は、体内の処分しきれない内熱を次々に体外に排出しなければ、恒常
体温を維持できません。そのためにまずとる対応は、第一段階として、皮膚
(湿疹、アトピー性皮膚炎、各種皮膚病、水虫等)として内熱と毒素をすて
ていくことです。しかし、その皮膚病を悪い症状として把握し、止める処置
をほどこしていくと、身体は次の手段で熱と毒素を体外にすてる必要性にせ
まられてきます。

 第二段階としての対応は、体表に腫れ物(オデキ)を作っていきます。そ
の他に風邪の熱を解熱剤で急激に下げた場合、帯状疱疹、口唇にできるヘル
ペス等も同様の対応と考えても良いでしょう。第一段階同様、これも悪い症
状としておさえこむ処置に終始してしまうと、次の安全装置を作動させるこ
とになります。

 第三段階としては、体内に起こった炎症に対する対応になります。これ
体内の水系成分を使った水腫形成です。脳に起これば脳水腫、胸に起これば
胸水腫、腹におこれば腹水腫、これらが代表例です。

 第四段階としては、体内に腫瘍を形成していきます。腫瘍とは体内にで
るオデキのことです。女性の子宮筋腫、男性の大腸ポリープ等が代表的なも
のです。生き延びようとプログラムされている人体は、命に支障のない個所、
及び体外に熱と毒素をすてやすい、子宮や大腸といった排泄機能個所にまず
腫瘍を作っていくのです。
 この段階においても、腫瘍を悪い反応とみなし、手術で取り去ったり、炎症
や化膿を薬でおさえる処置を行った場合、次々とあらたな個所に腫瘍を作っ
ていくことは、命を守る対応として必然の結果なのです。そして、命を守る
最終対応として、第五段階にがんを発生させていくのです。
 

 熱をすてるこれまでの四段階において適切な正しい処置を行わず、おさ
こむ局所療法に終始した結果が、「もはやがんに侵した組織は放棄します。
しかし個体としての命は存続させます」という命を守るための最終対応の姿
になっていくのです。
 その場合においても、まず命に支障のない個所よりがん化させていくこ
は当然で、生きぬくという前提でプログラムされている私たちの人体は、
のように幾重にも命を守る対応システムを備えているのです。
 要約して、四つの段階を述べましたが、詳細はわかりやすい例をあげな
ら、本論に述べていきます。

 つぎに病気の異常バランスのとり方としてがんを捉えなおしていきます。
命を存続させるためには、一時的ではありますが、負の生命力の発現も必要
になっていきます。負の生命力という観点でがんを捉えていきます。 そし
て次にがんの対処法としての、がんのアポト−シス(細胞の自殺死)と石灰
化いう観点で構成しています。以上の観点の考察の中から、がんは命を守る
最終的な対応の姿として位置づけていきます。
 
 がんに対する偏見を取り除くことは、至難のことです。できるだけわかり
やすく説明していくつもりですが、なかなか意を尽くせない個所も多々あ
かと思います。
 これまでがんは一方的に悪の権化とされてきましたが、これからの解説
中でそのがんに対する認識をあらたにされることを願っています。
                               

命の階層構造

 生きている状態をもっと幅広く捉えなおすためには、生命体という一個
個体の中に、生命の本質を見ようとしても、なかなかその本質をつかむこと
はできません。現在主流となっている「生命の本質」追求の仕方は、分子生物
学に代表されるように、生命の最小単位であります細胞の中に、それを見い
出そうと、栄々とした努力を重ねています。さらに細分化され、細胞の核の
中のDNAの研究が世界中で行なわれ、そして、その中の遺伝子情報の解析が
急ピッチで進められています。これらの研究の方法も、「生命の本質」を見
極める大切な方法であることに意義を唱えるわけではありません。
 私が主張したいのは、生きている状態の把握を、生命体という個体の中
けに求めるのではなく、もっと階層的に拡大、あるいは縮小して大局的に、
生きている状態を把握する必要があるのではないかということです。

 私たちの人体は一個の生命体として日々生きています。私たちの身体の中
60兆とも70兆とも言われる細胞の一個一個も個々の生命を持っています。
 この「生きている状態」を個体の中だけに求めるのではなくて生きている
状態をもっと幅広く捉えたり、階層的に捉えたりすることが必要です。例え
ば何人か集まった社会の構成単位である「家族」も生きています。家族がた
くさん集まった集団としての「村」も「町」も「市」も「県」もまた生きて
います。
 まとめると、「社会」として生きています。もっと拡大すれば、「国」と
いう単位もまた世界の中で生きているのです。
地球規模で考えれば、ある地域の生態系という、生きている状態が考えられ
ます。さらに、地球も一個の生命体として生きています。あるいは、視点を
変えて、我々が働いている「会社」という単位も生きています。このように
「生きている状態」の把握を階層的に拡大していくと、「生きている状態」
の共通の分母が見えてくるのではないでしょうか。そこから導き出される法
則は、「生命の本質」を見極める上で重大なヒントを与えてくれるものです。
「生きている状態」の把握方法として、「会社」を例にして考察してみたい
と思います。

 会社はある自動車メーカーとしましょう。世界的な不況により経営が悪
化してきたとします。
 この「会社」が生き残っていくためにはどうしても処置、対応が迫られま
す。そこでとられる対応は正への対応となるはずです。様々な対応策をとっ
ていくはずです。経費削減対策、人員整理(リストラ)も行われるでし
ょう。
賃金カット等あらゆる手段が講じられるはずです。そして最終的な
対応とし
て、日本全国に散らばっている「工場」を閉鎖、休止させていく処
置をとら
ざるを得なくなってきます。「会社」を生き延びさせて行くためには
やむを
得ない処置といえるのです。

 数ある工場を閉鎖、休止して規模を縮小していくはずです。しかし、会社
全体としては存続、生き延びていこうとします。そして経営が好転すれば、
また再稼動することも可能でしょう。この会社が生き延びていく対応の姿は、
そのまま生物としての人間の生き延びていく対応システムと同等にな
るはず
です。このようなアプローチの仕方の中から「生命の本質が見えて
くるので
はないでしょうか。


 次に「国」という単位で生き残るための戦略を考えて見ましょう。有史以
来「戦争」は絶えることがありません。ある「国家」が戦争に勝ち、生き残
っていくためには、様々な「軍事戦略」を必要とします。その中から、「防
空」に的を絞ってある国の防空システムを見てみましょう。 敵国が大陸
弾道弾発射したとします。それを迎え撃つ、大型の迎撃ミサイルを準備
して
います。

 次に敵国の爆撃機が飛来したとすれば、それを迎え撃つ飛行機、戦闘機、
中距離ミサイルを必要とします。更に、領空を侵され始めますと中距
離のミ
サイル、高射砲、戦闘機が必要となります。段階的な防衛網です。

 このように、幾重にもはりめぐらされて防空システムを実施させています。
さらに、敵の攻撃を事前に察知するために、、防空監視のレーダーシステ
を当然備えなければなりません。このような防空システムをみていきま
すと
国家の生き残るために備えるシステムは、生命体が生き残るために
備えてい
る免疫システムとほとんど同様のシステムが構築されていること
がわかって
います。

 当然、生命体の方がもっと精妙に、事前の警報システム、防御システム
を備えていると考えることが妥当であろうと思われます。
 それは生命体が人智を越えた、生きるためのプログラムがなされているか
らです。何億年という長い年月の中、あらゆる条件を克服して生き延
びてい
る現存の生物たちは完璧なまでに生きる術を備えているとみてよ
いのではな
いのでしょうか。

 個体の中だけに「生命の本質」を見つけようとしても、なかなかその全
は見出せません。そのためには「生命」というものを「命あるもの」ある

は「生きている状態」というように、幅をひろげてみますと今まで見えな

った「生命の本質」をつかめる鍵がみつかるはずです。


 日本伝承医学の生命観、疾病観、人体観はこのように個体としての人体に
求めるだけでなく、幅広くさまざまな「モノ」や「コト」に置き換えて、展

を試みています。視点を変えることで、いままで見えなかった部分を見
事に
浮き彫りにしています。
 

症状とは何か 

 症状とは、一言でいえば炎症といってもよいでしょう。
人体のすべての生理機能は、体温が365分に維持されることで、その生理
活動を一番円滑に営ませています。つまり、365分という熱を発生させて
生理活動を行ない、生きていくことができているのです。
 そのための作用を基礎代謝力とよび、それを維持する機能を恒常性維持機
能(ホメオスターシス)といっています。
 恒常性維持機能の主たる働きは、生理活動が弱っている組織、器官には、
熱を発生させて代謝を活発にさせ、その発生した余分な熱を速やかに体外に
捨てることです。そして体内の温度を常に365分に維持するように働いて
います。
 
 生理活動を活発にするためには「熱」が必要であり、しかしその発生した
余分な熱は速やかに体外に捨てなければならないのです。つまり、人間は恒
常性を維持することで生理活動を営んでいます。その恒常性が失われると、
身体はある症状を呈して恒常性を取り戻そうとするのです。低下した生理活
動を活性化するためには代謝活動を正常時よりもより活発にさせる必要があ
るのです。そのためには代謝活動に必要な血液を集めなくてはなりません。
血液が異常に集まってくると充血症状を起こし、熱を発生するわけです。

 症状とはまさしく熱の発生です。つまり症状の代表は「炎症」を起こすと
いうことです。故に、病気いうのは、ほとんどが何々炎という「炎症」の名
称がつくのです。皮膚炎、筋肉炎、アキレス腱炎、関節炎等、口内炎、髄膜
炎、子宮内膜炎、扁桃炎、耳下腺炎、胃炎、肝炎、肺炎、腎炎、膀胱炎、大
腸炎等、あげていけば枚挙にいとまがないでしょう。
 症状とは「炎症」なのです。生理活動を元に戻すためには熱の発生が必要
であり、元に戻ればその熱は速やかに処理しなくてはなりません。生きてい
くということはまさに「熱」との闘いともいえるのです。体内の熱をどう処
理するかということが生命維持にとって重要なことになるのです。
 たんぱく質でできている私たちの身体は0.5度の体温の上昇にも、生理
能は大きく変化し、「生」への対応を見事にやってのけているのです。生き
ていくために必要な熱量を基礎代謝量といいますが、実はこの栄養は、体内
の熱の処理に必要な代謝量を表すのが正しい見解なのです。

炎症とは

  炎症の兆候は、@発熱A腫脹B疼痛C発赤D組織・器官の機能低下があ
げられます。
身体に様々な「炎症」が起こると、私たちはたいへん苦しむことになります。
その苦痛から一刻も早く解放されたいと思うのは「人情」です。
故に、「炎症」が生命を守るための「対応」だと考える人は、まずもってい
ないのが現状です。どうしても悪い反応、対応ととってしまうのは無理も
ありません。しかし、「炎症」はどうして起こるのかという根拠と機序を
はっきりと認識していないと、正しい処置はできないのです。これを誤ると、
自分の命を縮めていく結果になっていきます。
 身体が必要のために起こしている正への対応としての「炎症」を、無理
に取り除こうとすると、一時的に苦痛からは解放できても、また次々と炎
を発生させていきます。それは根拠と秩序を断ち切っているわけではないか
らです。

 よい例をあげれば「膝の水腫」があります。わかりやすく言えば、膝に水
がたまって痛みと、歩行困難になる病気です。これは膝にたまった水を抜
てしまうと、らくにはなるのですが、また次々と同じことが起こってきます。
膝に水がたまるのは、火傷して「水ぶくれ」ができるのと同じ原理で、膝内
に炎症が発生しているからそれを冷ますために、必要だからこそ「水」をよ
んでいるわけです。炎症が鎮まれば、水は速やかに吸収されて元に戻ってい
くのです。

 例えれば、消防車の働きと同じです。火事が発生して、消火できていな
のに消防車が帰ってしまっては、また火は燃え上がってしまいます。
 つまり膝の水腫は、生体が炎症を鎮めるために「水」を集めているのです。
その水を抜いてしまっては、生体はまた「水」をよぶという繰り返しになる
ということです。膝に水がたまるのは、けっして悪いことではないのです。
炎症を鎮めるのに必要な対応です。このようなあたりまえなものの見方が
今日見落とされています。これでは病の本質を見誤るのは当然なことです。
 

人体の熱をすてるシステム 

 恒温動物である私たちの人体は、常に体内温度を36.5度に保っています。
人体の生理機能を円滑に営むためには、この36.5度を生涯、保持していかな
くてはなりません。この36.5度の体温から、熱が上がりすぎたり下がりすぎ
たりすると、私たちの体は生理失調をおこしはじめます。
 低温に対しては、4度下がった32.5度までならば、著しい生理失調は起
らず、緊急的な対応は迫られません。それは人体内の熱に対する対応が、低
温に対しては順応性が高いからです。体温が平熱より下がったときには、私
たちの体は自然と発熱現象が起こり平熱に戻そうと働きます。震えたり、こ
すったりすることによって、摩擦熱を発生させくれるのです。
しかし、36.5度より高い体温に対しては、即時に対応をせまられること
なります。 4度上がった40.5度になっただけで、身体はかなり苦しく、日
生活は困難な状態になるからです。さらに2度上がり42.5度以上になると、
体細胞内のタンパク凝固が起こり、生命が危険状態に陥ります。
  つまり人体は平熱より、6 7度熱が上昇するだけで生命が危険な状
になるほど、熱に対して非常に弱い体質を持っているのです。
この危険な状態を回避するために、恒温動物である私たちの人体は、精妙で
周到な「熱をすてるシステム」を備えているのです。これは生物として当然
な対応といえます。

 人体には、必要な熱はすばやく吸収し、余分な熱はすみやかに排出させて
いくという精妙なる安全システムが幾重にも構築されているのです。熱を冷
ましたり、余計な熱を体外へすみやかに放出したりする働きを体が自然にし
ているのです。生物の本能として少しでも長く生きのびる方へと懸命に働い
てくれているのです。
 この熱をすてるための人体システムを考察する上において私がとったア
ローチの方法は「現代まで人類が考案したすべての道具、機械、器具は人体
の持つ機能、構造、形態の延長上にあり、それは人体の中にもっと精妙に備
わっている。」という視点です。この視点にたって人体の熱をすてるシステ
ムを考察してみましょう。

 人類がこれまで考案した道具、機械、器具の中で熱を下げる作用を持つも
のを列挙してみますと、代表的なもので冷蔵庫、エアコンのクーラー、扇風
機、うちわなどがまず頭に浮かびます。またかつての夏の風物であ打ち
も熱を下げるための古代人の知恵になります。
打ち水は、まいた水が蒸発しようとするときに、熱せられた地面の表面
から熱を奪ってくれるから、涼しく感じられるのです。
 冷蔵庫、エアコン、打ち水などの冷却効果はすべて、気化熱を応用した
のです。私たちの人体は上記したすべての装置をもっと精妙に備えているは
ずです。

  人体にあてはめて検証してみると、皮膚からの発汗による気化熱
これにあたります。風邪などの発熱時にたくさん汗をかいたとき、体表から
熱を奪っていきます。内部に発生している余分な熱をできるだけ早く放出し、
平常に戻そうとしているのです。 汗による気化熱いう冷却効果によって、
発生した余分な熱をすみやかに排出させ、解熱効果を高めてくれているので
す。冷や汗、寝汗等も同様です。また筋肉運動をして筋肉に発生した熱も汗
として冷却しています。。
  体温を速やかに効果的に下げるには、この気化熱を応用することが理想
的です。 人体の皮膚面積は畳一畳分といわれていますが、このすべてを
使って発汗気化熱作用で身体を冷却しているのです。  
  気化熱現象を効果的に作用させるためには、風をあてることが必要です。
扇風機、うちわ等は風をあてるために大変効果的です。また、直接の空冷作
用も持っています。

 次に自動車のエンジンを考えてみましょう。
エンジンはオーバーヒートを防止するために周到な設備を持っています。
空冷、水冷の冷却装置、熱やガスの排気装置、ピストン部の熱を回避するた
めのエンジンオイル、オートバイのエンジン部に見られる空冷のためのフィ
ン状形態等、熱を排出させていくための様々な工夫が凝らされているのです。
 エンジンを長時間稼動させるためには、発生する熱をどう処理していくか
がエンジン保持の命題なのです。まさに人体の熱をすてることで生命を守
ている作用と同様です。
  自動車のエンジン部の熱をすてる装置のなかで、水冷装置は、人体の
に相当するかと言うと、症状としての水腫がこれにあたります。
例としてやけどをしたときの水泡、関節に炎症が起きたときの水腫
脳に水がたまる脳水腫、 腹に水がたまる腹水症状等があげられます。
これらの水腫は炎症(熱)をしずめるための冷却効果をねらったもので
す。わかりやすくいえば、やけどの時の水ぶくれがよい例です。
 
  次に車の排気ガスに相当するのが、肺の呼気作用です。肺の中のガス交換
として、二酸化炭素を鼻や口から吐き出します。これはガス交換だけでなく、
体内のを吐き出す作用も兼ねているのです。 呼気作用は肺だけでは
なく、体内の有毒ガスは皮膚上からも体外にすてています。これを皮膚呼吸
とよんでいます。皮膚は呼気作用だけで、吸気作用はもっていません。


 次に車の冷却装置としてのエンジンオイルを考えてみましょう。
人体でエンジン・オイルに相当するものは、すべて関節に組みこまれてい
関節液(滑液)がこれにあたります。車のピストン部と同じように、
面の摩擦による熱を回避するために、すべりをよくするための滑液(かつ
えき)です。
  作用はエンジン・オイルと同じであっても、機械と違って、生体は実に
精妙に完璧にこの熱に対しての処理を行なっています。
車のエンジン・オイルは、ある時間使い続けると、粘性が劣化したり、金
属カスでオイルの色が黒く変色してきます。ある寿命で、オイル交換をす
る必要がでてきます。しかし人体中の関節は、中の滑液を自動交換
きるシステムを有しています。
 滑液の入ったを関節包といいますが、この袋の膜を介して、新しい
滑液と自動交換できるのです。さらに驚くべきシステムは、滑液の粘性を自
動コントロールするのです。
  詳述しますと、通常時は、滑液の粘性は高くしてあります。いったん関
節に炎症が生じてくると、滑液の粘性が下がり、サラサラな液に変化する
のです。そうすることで、関節包の膜の通過の透過性が向上し、新しい滑液
がすみやかに補充され、関節の熱をよりスピーディに、効率よくすてるよう
に考案されているのです。まさに、人体の熱をすてるシステムは実に精妙で
完璧なものを備えているといっていいでしょう。
 
 さらにオートバイ等のエンジン外観のフィン(翼)状の形状について考
てみましょう。このフィン(翼)状の形状は、空気の流れを変えることで、
空冷効果を高めることを目的としています。この装置が、人体中のどこにあ
るかといいますと、息を吸い込む鼻の中に組み込まれています。鼻の内部の
副鼻腔というところに、フィン状形状の部分があり、ここを空気が通過する
時に、高温の空気は冷却されて肺の中に送られるようになっているのです。
この空冷装置によって、肺の中の温度が上がらないように、見事にコントロ
ールされているのです。

  この項は、人体の熱をすてるシステムを考察するアプローチ法として冷却
のための機械・器具が、人体の中ではもっと精妙で完璧に備わっている例を
あげることで、人体の熱をすてるシステムの一端を紹介しました。
 前述してありますこの世の中のすべての道具、機械、器具は、人体の構造、
機能、形態の延長上に存在するという考え方が事実として証されました。
この世のすべての道具、機械、器具は、すべて人体中に、もっと精妙に完璧
な姿で存在するということです。
 この考え方は、いまだ未知の部分の多い生命、人体探求のアプローチ法と
して、重大な示唆を私たちに与えてくれます。
 例えば現代科学文明を支えているものに、電気、磁気の応用があります。
電気の使用なくして現代文明は成立しないといっても過言ではありませ
ん。これを人体にあてはめ、電気に着目して、「イノチの物理」を発見でき
たのです。
 生命・人体の謎にメスを入れるのは、このような観点に立って、一歩一
進めていくことが可能なのです。
 

身体の熱を排泄する手段

  前項に引き続き、この世のすべての道具・機械・器具は、人体の構造、
能、形態の延長上に存在するという考え方をさらに検証してみましょう。
 食べ物を温める鍋とか釜の類を見てみますと、熱伝導を高めるために様々
な形の工夫がみられます。
  一つの例として、しゃぶしゃぶ用の鍋の形状をみてみましょう。普通の
鍋と違って、中心が煙突状にもり上がって、鍋の中の水をより早く、温め
ように考案してあります。酒のカンをつける、鍋も同様の形状をとってい
す。これらは熱効率(伝導)を高めるための工夫です。しかし逆に考えると、
内部のお湯の温度を下げるのにも、最適な形状ともいえるのです。お湯の接
している面が普通の鍋に比べ、はるかに大きい形状になっています。
  これを人体の中に探してみますと、これと似たシステム形状を見い出
すことができます。
  人体の皮膚と内部の皮膚に相当する内管系にこれをあてはめることができ
ます。人体の外部は皮膚という界面におおわれ、口から肛門までは、内管系
という管で中心が貫かれています。皮膚の表面積は、畳一畳分位です。口か
ら肛門までは、全長10m位の管が通っていて、この内管の表面積は、テニス
コート1面分位の広さがあるといわれています。
  身体の熱を排泄する手段で、最も有効な方法は、体表である皮膚から汗を
出して、気化熱として排泄する方法です。そのためには、表面積が広ければ
広いほど有効といえます。

  その代表例として心臓の具合の悪い人は、肥満になるといわれています。
それは、心臓周辺にこもる熱を処理するために、身体の上半身を膨張させて、
表面積を広くすることで汗をかき、熱を処理しているのです。
  内管系の大部分をしめる、小腸・大腸は、消化、吸収を効率よく行なう
めにテニスコート1面位といわれる表面積を確保しています。これも逆に
考えますと、内部の熱をすてるためにも、働いていると考えても差し支え
いでしょう。
 人体の熱の排泄の大部分は、皮膚と内管である食道・胃・小腸・大腸の内
面を総動員して、熱の排泄を行なっていると考えられるのです。人体の熱の
排泄の大部分を界面である皮膚と腸が担っているのです。
 

 人体中に、二つある臓器は、肺と腎臓です。肺は、生きていく上で一番重
要な、酸素を取り入れる器官ですが、同時に呼気として、ガス交換と内部の
熱の排泄を行なっています。また、腎臓は血液のろ過装置として重要な器官
ですが、尿として体外に熱をすてる重要な器官でもあるのです。 故に、二つ
備えることによって、片肺になっても生きていけるように、設計してあると
考えられるのです。

  熱の排泄として働いているのが呼気作用です。
内管のに相当する、口や鼻から呼気として熱を放出しているのです。
故に吐く息はあたたかいのです。 咳の症状も吐く息の繰り返しで、熱を同時
にすてていると考えてもよいでしょう。(咳とは本来、肺の機能鼓舞する作用
をもっています)
 症状とは悪い反応ではなく、改善のための対応の姿なのです。口から
(タン)や嘔吐も熱をすてる手段として働いています。
 腎臓と膀胱は尿(小便)として、体内の熱を排泄しています。また、内管
系の下の出口に相当する肛門からは、大便として熱を排泄しています。
こう考えてみると、症状としての嘔吐、下痢は、これを繰り返すことで、内管
及び体内の熱をすみやかに外にすてている姿とも考えられます。
熱をすてるための手段として人体の体表にとして、あいているもの
は、すべて内部の熱をすてるためにも働いていると考えて差し支えないでし
ょう。

  その他 としてあいているものは、耳、目、女性の生殖器も、内部
の熱をすてるために、機能していると考えられます。事実、耳ダレや涙、目や
に等は、内部の熱を処理するために働いていると考えられます。
 女性の生殖器も、生理として、毎月血液を体外にすてています。これも
の処理の一端を担っていると考えられます。症状としてのおりもの、不正出
血等も同様です。
  身体の熱を排泄する手段は、以上の方法でもって実に効率よく行われ、
内の温度を36.5度という恒常体温に保つように働いているのです。
 恒温動物であります人が生きる、また生きていくということは、まさに熱
をどう排出していくかが重要な命題となるのです。
 

こり・痛み・しびれ・まひは人体への警告反応

 病気というものは、けっして突然になるものではありません。よくいわれ
る突然死などの表現は、本来適切ではないのです。
本人がその兆候に気づいていなかっただけなのです。病気というものの根拠
と機序を理解できていないために、このような表現にならざるを得ないのが
現状です。
 「生へのプログラム」がなされている生命体は、生き残るための戦略
戦術を完璧に備えています。故に突然に崩壊()ということはありえ
ないのです。
 「命の階層構造」の項で、国の防空システムを例にあげ、監視警報シス
テムから、幾重にもはりめぐらせた段階的な対応システムを紹介しました。
戦争に例えれば、お互い拮抗した戦力をもっていれば敵がいきなり侵入し、
すぐに敗戦ということはありえません。敵の爆撃機や長距離ミサイルが飛来
すれば、それを事前に察知するため監視警報システムを備えておくことは当
然の処置になります。

 また別の例として、自動車のエンジンに例えれば、エンジンの調子を見
ために、エンジンを分解してそのたびに、中の様子を見るようなことはあ
えません。内部の異常を知らせる数々の表示、警報システムを装備している
車は、誰でも知っています。故に生命体である人体が、いきなり病気になっ
て死に至るというをおかすということは考えられないはずです。
 人体は、事前の表示、警報システムを完璧に、精妙に備えているのです。
人はこのような観点で人体を考えたことがありません。考えたことがない
ということは、この兆候を見逃してしまうことになります。兆候が出ていた
にもかかわらず気づかずに過ごしていたがために、突然死という表現が使わ
れることになってしまったのです。

 人体は命を存続させるために、事前にさまざまな形でシグナル・サインを
出しています。何年も、何十年も前から出し続けているのです。この人体に
出されるシグナル・サインは、初めは必ず、皮膚、筋肉という身体の表面部
にあらわれてきます。
 例えば、代表的な虫垂炎(盲腸)は、当初胃の上部付近に鈍痛として出
し、次第に当該部位の右の下腹部に反応が出て、押すと圧痛を感じるように
なるのです。これは、内部の異常を知らせるサインであり、現代医学ではこ
の反応点をランツ点、あるいはマックバーネ−点と呼んでいます。
その他、胆のう炎、胃潰瘍、肝炎、腎炎等の内部の異常が体表にあらわれる
点を内臓体壁反射という概念で捉えています。これらは比較的、当該臓
器と近い場所に出現し、内科診断の重要な役割を担っています。

 この内臓の異常サインを手、足を含めて全身に波及させて捉えたものが
東洋医学に見られる、つぼ(経穴)という概念であり、共通する「ツボ」を線で
結んで、あるルートとして発見したのが経絡(ケイラク)という概念です。
神経の走行とは、まったく別のルートで全身を上下に走行し、頭から足ま
連絡しています。
 この経穴・経絡は五臓六腑といわれる、内臓すべての反応点・反応線と
っています。
(
十二経絡)故に、鍼灸の世界では、例えば胆のうに異常や機能低下があれば、
頭から足先までの身体の側面全部に反応があらわれることを、何千年という
経験的事実として教えてくれているのです。胆のうに起こったいかなる微細
な異常も即座に、このルート上のどこかに反応としてあらわれサインを発し
ているのです。
 古代中国人の偉大な発見であり、五臓六腑の状態を全身の体表体壁(皮膚、
筋肉)に鏡のように映し出してくれるのです。
 これらのサイン(兆候)は、当初、皮膚上の色、つや触感(ザラザラ、カサ
カサ、しっとり、べたべた感等)、温度(温・冷)として微妙にあらわれます。
次に、押すと違和感や痛みのある圧痛点という形で出現します。そして次
段階としていわゆるこり感として感じられます。肩こり、首こり、背中のこ
手足のこり、足の裏のこりとして全身にあらわれてきます。
 

 次の段階が痛みとしてのサインです。代表的なものが首・肩の痛み、
腰痛、背部痛となってきます。
外傷による痛みや運動痛以外で発生する痛みは内臓を主体とした内部の異常
を知らせるサインとして発生する場合がほとんどです。このシステムを知ら
ない現代人は首をかしげるばかりで直接的な因果関係だけを探しだそうとし
ます。
 例えば首の痛みで俗に言う寝違えを、変な格好で寝ていたのかしら
か、頭が枕から落ちていたとか直接的な関係を探ろうとします。腰痛の場合
も同様でゴルフをやったからとか、重い物を持ち上げたからとかの因果関係
探しに終始します。
 しかし「寝違え」の場合の原因は、首及び肩にすでにこりがあったと
ろに、窓を開けて寝たり、冷房等で冷やされたりし、こりの状態がさらに
く硬縮状態になったために起こります。
 寝違えや腰痛は確かに引き金となるものが存在します。しかしこれら
はすでに、筋肉が長い間にこりの状態を呈していて、極限状態にさ
らされていたところに引き金となる因子が働いて発生したものなのです。
(
人体バナナ理論・人体積木理論参照)
 この筋肉のこりのほとんどが、実は内臓の機能低下に起因し、慢性的
に、あるいは急性症状として発生するものなのです。
 なぜかといえば、内臓に機能低下が起こると、その弱った内臓を保護す
ために筋肉は周りを固めて守ろうとします。その状態が持続すると、こり
して自覚されるのです。
 こりの次の症状として痛みが感じられます。痛みは、こりの状態が続
と時間とともに筋肉の内圧を高め、神経を刺激するため発生してきます。

 次の段階は、筋肉の痛みによる運動障害です。関節の可動範囲に制限がみ
られ、肩が上がらない、歩けないという障害となってあらわれてきます。
 その次は、血行障害の持続によるシビレ感です。感覚異常、発生の段階に
入ってきます。これが長期につづきますと次の段階として感覚まひ、運動ま
ひの状態に入ってきます。
 これまでの過程を正座を例にして説明してみましょう。
正座はひざを折ることで血行不良が起こり、しばらくすると筋肉の痛みを
じてきます。そのままの姿勢を継続すればしびれに変わってきます。しびれ
の状態が時間の経過と共に感じられなくなり、足を伸ばそうとしてみても自
らの意志で動かすことができなくなります。これがいわゆるまひの段階です。

 ここまでが警告のためのサインの段階となります。この段階までは、組
の機能低下として位置づけられ、シグナル・サインに相当する過程と捉えら
れるのです。
 このように人体は、いきなり機質変化、病名のつく段階に入るわけでは
りません。何段階もの警告期を経て、病気へと移行していくのです。ですか
らこのサインの時点で早く気づき、元に戻す処置を講じなければなりません。
痛み、しびれが生じている当該部位をただ処置するのではなく、これらの症
状の元となっている内臓機能を整えてあげる必要があります。
 皮膚の異常、筋肉のこり、痛み、しびれ、まひは、体の内部からの警告の
ためのサインであるという認識がどうしても必要になってきます。
 ここまでは筋肉系、運動系を主体に、警告サインを説明してきましたが、
この機序とシステムは、脳循環系にもそのままあてはめることができま
す。脳循環系の段階的なサインは当初、首のこり、肩のこりというかたちで
あらわれてきます。

 次の段階が、痛みとして頭痛の段階です。そして次にしびれに相当するも
のとして、めまい及び聴覚異常の耳なりとしてあらわれます。こ
れらはしびれ同様、脳への血行不良、血液不足により、小脳及び耳内の平衡
系に異常をきたし引き起こされるのです。

 次の段階は筋肉運動系のまひに相当するものとして、脳循環系では脳梗塞、
脳血栓というかたちをとっていきます。マヒとは、運動まひ、感覚まひであり、
脳内の循環不全、出血は半身不随、言語障害といった運動・感覚まひを起こ
すことになります。
 しかし脳梗塞や脳血栓は、生命に支障をきたさない所から血管を詰まら
ることによって主要な血管を守ろうとしている、脳への血流を高めようと
ている生への対応の姿でもあるのです。
 脳循環系も筋肉運動系と同様の機序をもって、最後まで体を守るために
警告サインを発してくれているのです。

 首・肩こり、頭痛、めまい・耳鳴りという警告サインの段階で、症状を対
症療法として押さえ込んだり、止めたりする処置に終始してしまうと、次々
に人体は防衛手段として警告サインの段階をあげていくのです。
 人体の持つサインとしての皮膚異常、筋肉のこり、痛み、しびれ、まひ
いう段階的な警告システムを正しく認識することによって、自らの健康は、
自らの手で守ることができるのです。
 人体は生きるためのシステムとしてあらかじめ、サイン(兆候)を発す
ることで、命を守り抜くための警告をうながしてくれています。人体への警
告反応は、生きるための対応の姿なのです。
 

対応のための五段階

 生命維持のため、私たちの人体は恒常性維持機構(ホメオスターシス)を備
えています。恒常性維持機構の一環として、体内の温度を常に恒温
に保つた
めに、余分な熱は速やかに排泄し、逆に体温低下が起これば、
ただちに熱を
発生させる機構を働かせて、体内の温度を一定に保ってい
ます。
 熱をすてるシステムと手段に関しては、すでに論述してある通りですが、
この熱をすてるシステムに破綻が生じた場合、私たちの生命は危険にさらさ
れることになります。

 生物として生きるプログラムがされている人体は、生命維持のため幾
にもその安全対策が施されているのです。

  この対応システムを五段階に分類し、以下解説していきたいと思います。 

() 皮膚病としての対応

 人体に発生する皮膚病のすべては、熱と体内毒素をすてるための対応と考
えられます。
アトピー性皮膚炎、ジンマシン、ロ唇(こうしん)ヘルペス(別名 熱の華)
角炎、帯状疱疹、インキン、タムシ類、各種難治性皮膚疾患、かぶれ、湿
疹、ニキビ等、皮膚疾患は多岐にわたって分類されています。その中から
表的なものを列挙し、詳細にその対応システムを考察してみたいと思います。
 
 まず代表例としてアトピー性皮膚炎を取り上げていきます。アトピーという
語源は、ギリシャ語で意味不明とか、わからないという意味の言葉から、この
名称がついたといわれています。原因不明の皮膚病という意味なのでしょう。
  アトピー性皮膚疾患で悩む人たちがここ30年来、急増しています。名前
の通り、有効な治療手段がないのが実状です。これは、この皮膚病の根拠と
機序が解明されていないからにほかなりません。
 結論的にいえばアトピー性皮膚炎は、人体のもつ熱をすてるシステム
に限界が生じ、体内の毒素を非常手段として体外へ排出して、
命を守ろうとするための第一段階の対応の姿と捉えることができるのです。
 具体的にいいますとアトピー性皮膚炎を発生させている方たちの遺伝的
体質は、先天的に「肺」と「腎」機能の弱いタイプに属します。

 「熱をすてるシステム・手段」の中で論述してありますように、肺と腎臓
は、熱をすてるシステムの最大機構です。
 肺は呼吸作用を司り、呼く(はく)息で有害な二酸化炭素と体内の熱を体
に排出しています。また、皮膚も呼吸作用をもつので、肺と皮膚とは密接な
関係にあります。
 皮膚は発汗作用でもっとも体内の熱をすてる最大の役割を担っている場
でもあります。全身の皮膚は、内管系である全粘膜とつながっていて、
皮膚の状態は全粘膜を映し出す鏡といってもよいのです。すなわち皮
機能の低下は、イコール全粘膜の機能低下を意味します。また体内の粘膜部
は小腸と大腸で大半を占められています。小腸や大腸も体内熱をすて
るための大切な役割を担っています。
 このように、肺という臓器は、皮膚及び小腸、大腸とも密接に関わってお
り、人体のもつ熱をすてるシステム・手段の大部分は肺・皮膚・粘膜が担
っているのです。

 また腎臓は、血液、体液のろ過再生装置として、体内の老廃物を尿とし
生成し、膀胱に送り、体外に排泄させています。これは体内の有害物質と、
熱をすてるための大きなシステム・手段になります。
 腎機能が衰えると、血液、体液の組成が一定に維持できないから、体の
体成分に異常が発生し、全細胞に機能低下が起こります。
 つまり有害毒素と余分な熱をすてる最大機構である肺と腎臓に、遺伝的
弱さをもっているということは、生命維持にとって、大きなマイナス要因と
して働くことになるのです。

 命を守るための対応処置としての第一段階の発動が、皮膚病という姿にな
ります。皮膚病を作ることによって、体内の余分なや毒素を体外にす
てて、体内のをコントロールしているのです。
 しかし皮膚病が発生するということは、誰しも好ましいことではありませ
ん。そのかゆみや痛みは耐えがたいものです。ましてや顔面部や首周辺など
の見える部位にアトピー性皮膚炎がおこった場合、落ち込んだり、負い目を
感じたり劣等感にさいなまれるという数々の精神的苦痛をも伴います。
 この場合、かゆみ、痛みを和らげたり、精神的苦痛を取り除く意味で一
的に対症療法を行なうことは、意味あることでもあります。
人はかゆみや痛みには弱く、がまんにも限界があります。逆に精神的苦痛の
持続は自律神経のバランス失調を生起し、その影響は内臓や脳にも及んでし
まいます。
 この意味において、皮膚病を一時的に対症療法で消すことは否定しません。
しかし、これはあくまでも一時的な処置であって、アトピー性皮膚炎を
根治したことにはならないのです。また必ず再発してきます。
 現行の薬物療法の有効期間は、約85日くらいといわれています。3ヶ月く
らい経過すると、また発生してきます。この繰り返しに終始してはならない
のです。
 長期に及ぶ対症療法は内臓及び内分泌機構(ホルモン系)に何らか
破綻を起こしていきます。アトピー性皮膚炎をどう好転させていくかは、
の病の本質を正しく認識する必要があるのです。

 現代医学的には、アトピー性皮膚炎は、アレルギー性の疾患として扱われ
ています。これを引き起こす要因として、外部からのハウスダストやダニ、
カビ等があげられ、食物としてアレルゲンとなる物質が解明されています。
こういう対応も当然必要であり、現代医学の大きな成果のひとつであること
に異論はありません。
 しかし、外的な要因だけに目を向けていては、アトピー性皮膚炎を改善
ることはできません。実は、内部(自身)の命を守るシステムに限界が生
免疫機構の非常対応の姿という視点も必要なのです。
 アトピー性皮膚炎を負の対応という一方的な視点で捉え、これを押さえ
む手段を繰り返すと、人体は次の対応でもって命を守るシステムを作動
しなければならなくなってきます。それ故、非常対応の第一段階が皮膚病
の本態であるという認識がどうしても必要になります。適切な処置をしなけ
れば、次の命を守るシステムを作動する第二段階に入っていくことになるか
らです。

 「皮膚病としての対応」の代表例として、アトピー性皮膚炎を取り上げま
したが、体表に発生するすべての皮膚疾患は、本質的には同じ根拠と機序を
有しています。
 分類すれば、全身性の皮膚病と局所的なものとに大別できます。局所的な
ものとしてロ唇ヘルペスと口角炎を取り上げて解説してみましょう。
 ロ唇ヘルペスは、唇に特徴的に発生する、びらん性の皮膚病です。これは
俗名熱の華とよばれています。まさに、その俗名示す通りすて
るためにできる皮膚疾患です。
 先人たちはまことに的を得た命名をしたものです。口唇ヘルペスは風邪
後遺症として、また、食べすぎが続いたりするとできやすいものです。
正確には胃の炎症によって発生した内熱を、体外に排出するために発生する
ものです。
 また、内部の異常を知らせるサイン的な要素も含んでいます。ウイルス
の疾患として扱われていますが、本態はやはり、内熱を除去する生体反応
として捉えることが大切です。まさに熱の華なのです。これを早期に鎮
めるには、少食あるいは絶食して胃を休め、胃の内熱、軽い炎症を速やかに
取り去ることです。見事に効果があがります。

 次に「口角炎」ですが、これは心臓に内熱がこもってくると、内熱を捨て
る非常手段として発生する皮膚疾患になります。故に外用薬を塗布しても軽
減はするもののなかなか根治できません。
 この皮膚病も熱をすてる対応と同時に内部の異常を知らせるサイン
の役割をもっています。消失させるためには心臓にこもる内熱を処理しな
ればなりません。このように局所的な皮膚疾患は、各内臓の内熱処理
するために発生すると同時にサイン警告ランプの役割も担っているのです。

 全身的な皮膚病は、先に論述してあるように肺と腎臓という熱をすてる大
きな機構に破綻を生じた場合に発生していきます(アトピー性皮膚)
肝臓の解毒機能の減退が加味された場合、皮膚病の発生率は一段と高くなっ
てきます。 肝臓の内熱はジンマシン、目の麦粒腫(モノモライ)の症状に
よって、処理されていきます。
 また風邪による高熱を無理やり解熱剤で急速に下げた場合、皮膚病を発生
するケースが高くなります。発熱は、身体を元にもどす必要な対応でもって
発生しているにもかかわらず、その機構を無視して急速に解熱した場合、熱
がこもるからです。こもっの非常処理の形は、全身的な「薬疹」や
「帯状疱疹」という皮膚病になってあらわれていきます。
 表向きはウイルスと考えられていますが、その本質は、体内の内熱
非常処理手段だったのです。故に脳に内熱がこもれば顔面や頭に発生し、各
内臓に熱がこもれば、当該臓器の体表付近に出現し、当該の 肋間神経の走行
上に疱疹が発生するのです。

 人体の体表である皮膚に発生する疾患は、内部の異常な熱や体内毒素を処
理するための非常対応という本質を見逃してはならないのです。
 皮膚病は体内のをすてるシステム及び体内毒素の処理システムに
限界が生じ、非常対応の第一段階として皮膚上から皮膚炎という形で体外に
毒素をすてているのです。けっして悪い反応ではなく、命
守る上で必要な対応の姿であるという認識が重要になってきます。
 人体に生じる皮膚疾患のすべてはその根拠と機序を正しく認識すれば、どう
処置していけばよいのかという解答はおのずと導き出されます。
 病とは、熱との闘いであり、その熱を処理する第一段階の対応が各
種皮膚疾患の根拠と機序にあたるのです。
 この認識なくして、適切な処置を施さず、ただ消すことだけに終始するこ
とは第二段階の命を守るシステムにスイッチをいれることになっていくの
です。
 

() 体表にできる腫瘍(オデキ)、潰瘍による対応

 命を守る対応の第二段階は、体表にできる腫瘍(オデキ)という対応手段を
とっていきます。体表の腫れ物は、ある面皮膚病のまとまった形という見方
もできます。故に皮膚病と重複した形での解説となることは否めません。
  「皮膚病としての対応」の項で解説してあります、口唇ヘルペス、帯状
疱疹、難治性の皮膚病(掌蹠膿疱腫ショウセキノウホウシュや潰瘍性皮膚病
など)は、第二段階の項に入れて考えられる対応の姿です。
 皮膚病との違いは、深部にまで病変が及んでる点です。腫瘍・潰瘍がこれ
に相当します。体表からだけの熱の放出では対応できなくなった場合、内部
の深い部分から直接体表までルート(トンネル)を作り、体外に熱と毒素をす
てていくのです。

 例えれば、火山の姿に相当します。地球内部のマグマが地表面に火山
というを作って、内部の熱エネルギーを噴出している姿と相似象です。
 皮膚病と腫れ物を地球表層に置き換えて説明しますと、皮膚病は地球表層
に起こる地震に似ています。内部の熱エネルギーをすてるために、地球表層
をゆすって地層にずれや小さな穴をあけて、小刻みに熱をすてているのです。
これだけでは内部エネルギーをすてられなくなると、というルート
を使って、爆発を起こし、一気に内部の蓄積した熱エネルギーをすてる
のです。つまり皮膚病は地震の姿と同様に、腫瘍や潰瘍を作ることによって、
火口というルートを使い、内部の熱と毒素を直接体外に排出していたの
です。

 いわゆるオデキは口が開くまでは、腫れと熱と疼痛を伴い、つらいも
のです。口が開いて内部の膿が出始め、深部の(シン)”にあたる部分
が排出すると、後は自然に良能していきます。火山が爆発し、内部エネル
ーが噴出すると、火山の噴出が鎮静化していくのと同等です。
 歯痛のとき、虫歯になっている歯にドリルで穴を開けてもらい、内部の
圧力を取り除くと、歯痛がうそのようになくなる現象とも多少似ています。

 また急性の対応として潰瘍性皮膚炎というものがあげられます。
 潰瘍性の皮膚病は、皮膚上に穴をあけて口を開くことにより、内部の熱
放出し、内部破壊(内臓の病気)と組織の壊死(えし)を防ぐ役割を担って
ます。 
 故に潰瘍性の皮膚病はたいへん難治の皮膚病です。これを消そうと思って
も内部の熱(内臓の熱)が処理しきれなければ何度も再発を繰り返すことに
なるのです。
 寝たきりの人がよくおこす褥創(床ずれ)も皮膚に穴があいていきます。
穴をあけることで内部の熱を放出しています。これは組織の壊死を防止し
いる非常対応の姿なのです。故に薬物によって消そうとする手段を講じても、
なかなか治らないのが実状です。壊死を防ぐための必要な生体対応という見
方が重要です。

 皮膚上に腫れ物(オデキ)を作ることで、内部の熱と毒素を排出し、生体
を元にもどす対応の例として、弘法の灸と呼ばれているものがあります。
呼び名は一定ではありませんが、日本の各地で昔から行われているものにな
ります。
 これはまさに起死回生の非常手段になります。弘法の灸とは、難治
性の病やがんや内部の腫瘍を治すために、人体の背中の「ツボ(経穴)
親指大のお灸をすえ、わざと大やけどを作りこれを化膿させるのです。
こうして腫れ物(オデキ)あるいは潰瘍性の皮膚炎を人為的に体表に作ること
で、体内のと毒素を排出し、がんや体内の腫瘍を回復に向かわせよう
とする非常手段をとります。

 体内にできた腫瘍(オデキ)は、体表の腫れ物と違って、その熱と毒素を体
外にすてることが容易にできません。故に体表に大きなをあけ、化膿
させることによって内部の熱と毒素を排出させているのです。
お灸の熱さと苦痛、また化膿による腫れと痛みもたいへんなものであろう
推測されます。
しかし体表のオデキは致命的になるケースはほとんどありません。逆に、
部に起こった腫瘍は命取りになる可能性があります。弘法の灸とは
まさに起死回生の非常療法といってもよいでしょう。
 この療法により、好転をみるケースはたいへん多いと考えられます。な
ならば、命を守る第二段階の対応の姿が体表にできる腫れ物(オデキ)や潰瘍
性の皮膚炎であるからです。

 生命体(生物)はあくまで生き抜くという設計の元に作られ、生きてい
くため、命を守るための対応手段を幾重にも兼ね備えているのです。
このあたりまえの前提に立ち、病気を捉えなおし、症状を捉えなおしてい
ば、非常対応の姿がこのように鮮明に見えてくるのです。
 すべてのモノ・コトには必ず正・反の二面が存在しています。一方的に
一面だけから見ていては真実は見えてこないのです。別の視点から症状を捉
えなおし、命のあり方を捉えなおしていけば、真実は鮮明にみえてくるのです。
 命を守る第二段階の対応としての体表にできる腫瘍(オデキ)、潰瘍性皮膚
炎は、このように内熱を排出し、生体を元にもどす対応の姿として、捉えな
おしてみることが大切です。無理やり消すことに終始してしまうと、人体は
次の対応の段階に追い込まれていくようになります。
 

() 内部に炎症を起こした場合の対応としての水腫

 「症状とは何か」の項で、すでに論述してありますように、症状の大半は
炎症から始まるといってもよいでしょう。
 病気とは熱との闘いと表現してありますように、人体の組織・器官の
生理的機能低下を元にもどすためには、どうしても熱の発生が必要になって
きます。炎症が、破壊された組織を修復するための防御反応であることはま
ちがいありません。命を守る対応であることにまちがいはないのですが、
炎症から発生する各種苦痛は耐えられないものがあります。故に、
どうしても正の対応とは考えられないのが人の常です。しかし、炎症
の根拠と機序を正しく理解しなければ私たちはたいへんなまちがいをおかし
てしまうことになるのです。
 苦痛からの解放のために一時的に薬物を使用して、熱を下げる(炎症・化膿
止め)こともたしかに必要です。しかしこれに終始してはならないのです。
無理やり押さえ込む処置を繰り返すことにより、人体は次の防御反応を作動
させなくてはならなくなることを理解してほしいのです。
 破壊された組織を修復するための防御反応としての炎症は、修復が終了す
れば、その熱は速やかに吸収、排出しなければなりません。
 人体は熱をすてるためのシステムを幾重にもはりめぐらせて、実に迅
速にを処理できるのです。

 人体は、水系成分が70%で占められている、いわば液体皮袋です。
体内の水系成分は、血液と体液になります。体液とは、細胞内液と細胞外液
に分類され、細胞外液の中に血しょうと組織間液(リンパ液・髄液)含まれ
ています。いずれにしても、平たくいえば「水」ということです。
 水という物質は二つの大きな特性をもっています。ひとつはすべての物質を
電解質として、溶け込ませることができること、これにより生命維持のため
の「エネルギー」「物質」「情報」すべての受容・伝達・処理・反応が行
われているのです。
 もうひとつの特性は、水というものが熱しやすく、冷めにくいという特徴
をもっているということです。この冷めにくい特性によって、人体内を36
5
分という体温に常に維持することが可能になるのです。
 逆の特性は、すぐに熱を吸収できるという点です。ここに着目することが、
たいせつな視点となってきます。
 ことわざに焼け石に水という表現がありますが、しかし、物体の熱を
冷ますには、水が最適な物質であることはまちがいありません(氷も水)
いかに焼け石であろうとも、水を持続的にかければ、一番早く熱を冷ま
すことが可能です。
 実は体内の水系成分は、体内に発生した余分な熱を冷ます(すてる)
重要な働きを担っていたのです。これにより、炎症で発生した熱を速やか
に迅速に処理することが可能であったのです。


 炎症とは組織修復に絶対必要な生命体の防御対応です。しかし、修復が終了した
なら、その熱はすみやかに処理しないと人体は平常な生理活動にもどれません。
この熱をすてるシステムを完璧に備えているのが人体です。
体内においては、血液・体液というという水系成分が、この役割を担っています。
 わかりやすい例として、やけどという炎症があります。外的要因により起こった皮
膚のやけど(火傷)は緊急対応が必要です。生体は熱を冷ますためにすぐに水を集
めます。これがやけどにより起こる水ぶくれ(水腫)の機序であります。その証拠に、
水ぶくれを破って中の水を出してしまうと、やけどの痛みは増大します。また治りも
遅くなっています。水が必要だから集めているのであり、修復が完了すれば、この
水は速やかに吸収されていきます。

 膝の水腫(膝に水が溜まる)もよい例です。膝の内部の炎症を鎮めるために、生体
は膝に水を集めています。炎症がおさまらない時点でこの水を抜いてしまっても、
またすぐに水をためていきます。この水を抜くことを繰り返しますと、生体は、膝という
組織を守るために、次の対応処置をとっていきます。膝の水系成分である滑液の循
環を守るために、関節の骨の形を変えることで守る対応をしていきます。これが変形
性関節症の機序となっていくのです。
 このやけど(火傷)や膝の水腫の例と同様のことが、人体内のすべての組織・器官
に発生するのです。

 以上の解説の中から、体内に水腫が形成される機序がおわかりいただけると思い
ます。体内におけるすべての炎症を悪い反応と一方的に捉え、これを無理やり、おさ
えこむ処置に終始したり、通常の水系成分を使っての熱の処理に限界を生じた場合、
人体は第三段階の対応として、水症(水腫)、浮腫を引き起こすことにより、熱をすて
るシステムを作動させることになるのです。生命維持のためには、何としても余分な
熱は速やかにすてなくてはならないのです。

 たんぱく質でできている私たちの体は0.5度の体温の上昇にも生理機能は大きく変
化します。この時々刻々の変化対応が生きている姿に他なりません。
 体内の炎症により、発生した熱は1秒でも早くすてなければならないのです。この
対応が組織に起こる水症(水腫)と浮腫の根拠と機序なのです。
 水症(水腫)とは、組織間液が異常に増加した状態をいいます。水症(水腫)が皮下
組織に起こった場合を浮腫とよんでいます。起こった部位により、腹水症、胸水症、
心のう水症、脳水症といいます。いずれも熱を冷ますための対応としての非常手段
になります。

 例えば肝炎・腎炎・膵炎・脾炎・胆のう炎等内臓の炎症、内耳炎、中耳炎、鼻炎等
骨、筋肉、腱等すべての炎症には、腫脹(はれ)をともないます。腫れるということは、
既に血液、体液が増大している状態です。
 この血液と体液は、破壊された組織を修復するための「エネルギー・物質・情報」
の役割を当然担うと同時に、体液によって、熱を吸収する働きを受けもっています。
 この作用に限界が生じたり、炎症や腫脹(しゅちょう)を無理に抑え込む処置に終
始してしまうと、非常対応手段として水症(水腫)という対応を生体はとっていくのです。
 水を動員することにより、熱を冷まし組織の致命的破壊を阻止するための非常対
応手段をとっていくのです。

 この動員された体液の組成と粘性は、通常の体液の組成とは異なっています。熱
の吸収をより促進するために、膜の透過性を高める組成に変化させて対応してい
るのです。まことに見事な命を守る対応の姿です。
 体表から体外に熱を直接すてることのできない内部においては、血液、体液とい
う“水”を動員して、熱をすてるシステムを完成させています。この非常手段としての
水症(水腫)を発生することにより、命を守っているのです。これが対応の第三段階
の姿となります。

(四)内部腫瘍による対応

 対応の第三段階である「水症(水腫)」に限界を生じたり、この水症(水腫)をとり去
る処置、あるいは自然良能に反した処置に終始した場合、人体に次なる対応手段
をもって命を守ろうと働きます。
 第二段階「皮膚上の腫れ物による対応」の項で体表にできるオデキの機序はすで
に解説してありますが、第四段階での腫瘍とは体内にできるオデキのことをさします。
 脳腫瘍、各種内臓の腫瘍、子宮筋腫、卵巣のう腫、大腸ポリープ、胆のうポリープ
等はすべての組織、器官に発生します。悪性、良性の区別をして呼ばれていますが
いずれにせよ発生の根拠と機序は同一です。尚、良性か悪性かの病理学診断は
大変困難といわれています。

 人体の熱をすてるシステムの非常対応手段の第四段階として、内部にオデキを作
り、熱と毒素をすてようとする対応の姿です。皮膚上のオデキの項で論述してありま
すようにオデキというものは、組織の界面を破り直接、組織外に熱と毒素をすてる
対応です。
 生へのプログラムがされている生命体は、直接命に関わらない組織から腫瘍を
つくっていくことは当然です。致命的になりかねない、体内部にできるオデキだからこ
そ、生へのプログラムにのっとり、慎重にその個所を選び、生きるための対応をし
ているのです。

 腫瘍ができやすい場所とは、生命に直接的に関わらない部分、女性でいえば子宮
内、男性では大腸内、男女を問わず脳内が発生しやすい場所としてあげられます。
 子宮筋腫を例にして考察してみますと、いきなり子宮内に腫瘍が起こるということ
はあり得ません。これまで解説してあります第一段階、第二段階、第三段階を経て、
体内の腫瘍へという機序をたどります。
子宮筋腫への機序はまず遺伝的体質として、肺と腎機能に機能低下をもたらしや
すい体質が前提としてあります。

 これまでたびたび論述してありますように、肺と腎臓は熱をすてるシステムの総本
山の役割をもっています。このシステムに遺伝的な弱さのある人は、幼少時より虚
弱体質的な傾向にあり、風邪をひきやすく、喉に炎症を起こしやすく、喘息、アトピー
になりやすい体質をもっています。また化膿しやすい体質です。生理不順、生理痛
も起こしやすく片側の卵巣機能低下を起こしている場合がほとんどです。
 上記の症状に対して適切な処置を施さない場合、子宮内膜炎へと移行することは
必然となってきます。さらに子宮内膜炎に対して適切な処置をとらず、炎症をおさえ
こむ処置に終始しますと、子宮全体の肥大の過程を経て、第四段階としての水症の
一種とみてよい子宮内の腫瘍「子宮筋腫」という病変に至っていくのです。

 子宮という器官は、膣を経て体外に通じており、オデキの熱と毒素を
すてやすい場所であります。故に女性の場合、腫瘍を一番作りやすい部分で
あるわけです。もちろんこれは生へのプログラムにのっとり、命を守る対応
の一環であることはいうまでもありません。この延長上から考察しますと、
再生能力の高い組織から発生しやすいとも考えられます。
 結合組織、表皮、粘膜部(口、食道、胃、大腸、子宮)、排泄管(膀胱、尿
道)は人体の中で腫瘍は再生力の高い場所です。これらの場所に腫瘍は発生
しやすいと考えていいでしょう。

 そのよい例として男性の大腸ポリープ(突起状の小さな腫瘍)があげられま
す。大腸の単純性ポリープはS字結腸という肛門部に近い場所にほとんど発
生し、圧倒的に男性に多い病変です。子宮筋腫と同様に、肛門という外部に
近い場所であり外部に熱と毒素をすてやすい場所です。
そして粘膜部という再生能力の高い場所にまず発生すると考えられます。
 この男女の例が示すように、内部に腫瘍を作ることで、熱をすてる第四
階の非常対応手段を人体が講じていくのです。
それも命に別状のない個所から発生させて行くという機序のもつ意味を認識
しなければなりません。まさに生き抜くというプログラム通り、生命
は命を守る対応を完璧にまでに順守しているのです。

 この第四段階の初期に相当する子宮筋腫、大腸ポリープの処置を誤ると命
を守る対応としての腫瘍を次々と別の組織、器官へと拡大することになり、
熱をすてる対応を命の限界まで続けることになるのです。
 内部の「腫瘍」という病変は、原因も機序もいまだ解明されていないの
実情ですが、体内に発生するオデキ(腫瘍)は実は熱をすてるシステムの非常
対応手段の第四段階として、組織、界面に直接を開き内部の熱と毒素
を排出し、命を守る対応として働いていたのです。

() 最終対応としてのがん形成

 病気とは熱との闘いです。また、生きるとは変化対応する姿であ
ると考えています。生物は、生き抜く、生き続けるという方向に生へのプ
ログラムがされ、時々刻々に変化する内、外の環境に対応した形で、人知を
超えた設計がされています。生命体としての人体の設計にミスはありません。
しかし、この使用法を誤ると、生物としての生を全うすることができません。
 生へのプログラムの原則にのっとり、人体に備わった命を守るシステム
一環としての「熱をすてるシステム」に着目し、これまで論をすすめてま
りました。通常の「熱をすてるシステム」これに破綻を生じた場合、人体
どういう対応システムを作動させて命を守っていくのかという視点でもっ
考察してきました。
 熱をすてる対応のための五段階のシステムもいよいよ最終対応をむかえて
います。人体の最終対応の姿とは何なのか、以下考察していきます。

 結論的にいうならば、がんは命を守る最終対応の姿なのです。
熱をすてる非常対応手段としての4段階、
  (1) 皮膚病としての対応  
  (2) 皮膚上にできる腫瘍(オデキ)としての対応
  (3) 体内に水症(水腫・浮腫)を発生させての対応 
  (4) 内部に腫瘍を作っての対応 
の形を経て、これらの非常対応にも限界が生じたり、適切な処置をとらず、
対症療法としての症状を消すことを主体とした処置を繰り返した場合、命
をつなぐ、最終的な対応としてがん細胞を異常増殖することで、その組織
を閉鎖、休止していきます。
しかし個体としての命は存続させるという非常最終対応の姿ががん
いうものの根拠と機序であろうと考えられるのです。
 熱をすてるシステムの非常対応手段を駆使したにもかかわらず、熱をすて
ることができなくなった段階を経て、限界状態に突入した場合、生命体は命を
存続させる最終対応手段としてがんを作っていくのです。この根拠と機序を
解説するにあたっては、命を捉えなおすという作業から始めなくてはなりま
せん。

 「命の階層構造」の項ですでに詳述してありますように、生きている状
を個体として人体に求めるだけでなく、生きている状態を階層的に微
生物、あるいは細胞から宇宙全体にまで拡大し、生きている状態の共通分母
をさぐることで、生命を捉えなおす必要があるのです。
 個体としての人体だけが生きている状態ではありません。目に見えない微生
物であります細菌やウイルスから、生命の最小単位であります細胞も、人間
が幾人か集まった家族も社会も国家も生態系も地球もあるいは会社も生きて
います。これらすべてが生きている状態として把握できるのです。
 これらに共通する生き延びていく共通の分母が見つかれば、個体として
人体の命存続の原理が見えてくるのです。この中から会社の生き延びる
姿を例にあげて、人体が命を守る最終対応手段として、がんを発生させてい
く機序を解説してみたいと思います。

 例として会社は鉄を作るメーカーとします。この鉄を作る会社は、全国各
地に工場をかまえています。会社が経営悪化に陥った場合、まず生き延びる
対応は、社員全体に経費節減や省エネを呼びかけます。賃金カットも行なう
でしょう。大幅なリストラ(人員整理)も行います。考えられるあらゆる処置
を講じるはずです。
 しかし悪化を止められない場合、この会社の最終的な対応は全国に散らば
っている「工場」の一部を一時的に閉鎖、休止するという処置を取らざるを
得ません。一時的に閉鎖することで会社全体は生き残っていくという対応を
せまられます。この場合支障の少ない工場から閉鎖するのは当然の処置とな
ります。次々と工場を閉鎖させることで、生存を試みるはずです。
この対応処置によって会社は命脈を保つことができるかもしれません。
まさに最終的な非常対応手段です。経営が好転すれば、また再稼動の可能性
は残されています。 この会社が生き延びていく対応の姿は、そのまま
人体にあてはめることができるのです。

 人体の備える命を存続させるための対応手段を使い果した場合、最終的な
対応として、人体のある部分、一組織を一時的に閉鎖、休止させることによ
って、個体全体の命は存続させますという姿が、がん発生の機序と考えられ
るのです。
 がんは、その組織を死滅させるために発生しているわけではないのです。
一時的に閉鎖、休止させることでエネルギーの損失を抑え、その余剰エネ
ギーを他に回すことで全体の機能の底上げをはかることを目的とした対応と
考えられるのです。個体全体の命を守り、回復のための時間を供給する目的
も含まれているのです。
 この一時的閉鎖・休止の間に、命は個体全体の生命力、免疫力を改善する
努力をします。生命力、免疫力が回復すれば、がん細胞を自主的に撤退させ
ることもできます。それにより一時的閉鎖、休止においこまれている組織を
再稼動させることも可能になり、再稼動しないまでも、人体にとって害をも
たらさない、部分的な壊死組織あるいは石灰化という状態に変化させること
も可能になっていくのです。

 組織のがん化は、命存続の非常対応の最終手段です。しかし、最終対応を
回避できたとしてもそれが非常対応であることに変わりはありません。
前段階の4段階をも改善させていかなければ、がんの再発は防止できません。
だからこそ非常対応手段の4段階の根拠と機序を正しく認識することが、
再発防止には不可欠となってくるのです。

 現時点では一般的にがんは最も恐れられ、不治の病、死の病つまり悪の権
化という捉えられ方をされています。確かにがんは近年日本人の死亡原因の
第一位にランクされています。このようなイメージで捉えられているのは当
然といえましょう。 しかし自然界や社会を貫く大原則として、モノ・コト
には、正・反が相反する面をもっていて、その二面の「相反」と「統合」に
よって成り立っているとされています。
 この原則に照らして、逆の視点から病気、症状を捉えなおしてみること
大切です。
病気や症状は負の対応ではなく、正への対応であるという視点でもって生命、
人体、疾病を捉えなおしてみると、今まで気づかなかった真の姿が鮮明に見
えてきます。

 正への対応という観点でがんを捉えなおしてみると、今まで見えなか
った、がんの真の姿が浮き彫りになってくるのです。
 がんに対する現在の処置は、一方的に悪者扱いされ、根こそぎ取り去っ
しまうという外科手術、徹底的にたたくという抗がん、制がん剤療法、放
線療法が主流となっています。がん治療の選択肢には、これしかないという
のが現状ですが、視点を変えてがんを捉えなおしてみるとあらたな選択肢が
みえてきます。
 

 ほんとうにがんは悪の権化なのでしょうか。私が考察した「がんは命
を守る最終対応の姿」という観点からすれば、これを根こそぎ取り去った
するということは、会社の生き延びる姿の例の中で述べてありますよう
一時的に閉鎖・休止している工場を取り壊してしまう行為に相当します。
取り壊すということは、余分な費用を供出することになり、経営悪化してい
る会社をますます窮地においこむことになってしまいます。窮地においこ
れれば、おいこまれるほど次々に工場を閉鎖・休止させなくてはならなくな
ってきます。
 そのたびに工場を取り壊していたら余分な出費でますます赤字経営になり、
やがていつかは、会社自体が倒産してしまいます。がんを根こそぎ取り去る
という行為は上記の例が示すとおり、手術による生命力の低下と相まって人
体をますます窮地においこみ、その結果として最終的な非常対応手段を発動
させて、また次の組織へとがんを再発させていくことになるのです。

 抗がん、制がん剤、放射線療法も根こそぎ取り去る外科手術と同様の結果
を生体にもたらします。それにプラスされて両刃の剣といわれるように、
がん細胞も他殺においこみますが、正常細胞をも殺してしまいます。
その副作用の大きさは衆知の通りです。これでは最終的非常対応の手段とし
て一部の組織をがん化させ、一時的に閉鎖・休止させることで省エネをはか
り、全体の生命力と免疫力の修復のためのエネルギーと時間を供給するとい
う、本来の目的を失うことになってしまいます。結果として、新たな別の組
織へがんを発生させることになっていくのです。 

 がんというものが、命を守る最終的な対応という新たな認識を獲得する
とにより、がんの処置法の中に新たな選択肢を生み出してくれることと思い
ます。
 「何もしないで、共存していく、その中で生活習慣の改善を図り全体の
生命力、免疫力を向上させていく」この方法も、選択肢の中のひとつに入っ
ていい時期がきているかのように思われます。

正の生命力と負の生命力としてのがん

 生命力とは、生きるエネルギーの度合いを示すことばです。命の火
でも表現したらいいでしょうか。命の火が燃えている状態をさしています。
生命力が旺盛といえば、まさに火の燃えさかる勢いが強い様を示し、生命
が衰えたといえば、火の勢いがなくなり、終息しかかった状態を指していま
す。生命力が尽きれば、火は燃え尽きて消えてしまいます。
 正の生命力とは、わかりやすく表現しますと受精卵のようなものです。
生殖作用の中で、一個の精子と一個の卵子が受精して一個の受精卵を作ります。
 数時間後には、細胞新生を始め、倍々に増えていきます。そして23
には、おびただしい細胞の数となって、子宮内に着床します。胎児の形にな
るころには既に何十兆個の細胞の数になっています。
 この細胞発生の勢いは、まさに正の生命力の代表的な例です。
命の火の勢いがさらにさらに燃えあがろうとする姿に例えられます。

 正の生命力とは、胎児の例で示したように生き続けよう、生きぬこうとす
る力の方向性を示す意味です。人体が成長する際にも、病体を元に戻すにも
正の生命力は絶対必要です。生命力が高くなれば、細胞呼吸、エネルギー代
謝を活性化させることになります。さらに遺伝子にも作用し、遺伝子の機能
発現、遺伝子の複製にもスイッチが入るのです。この原動力となるのが、正
の生命力です。
 負の生命力とは、まさに「がん」がこれに相当します。これまで命を守る
非常対応手段を五段階に分けて解説してきました。その最終的な対応
姿ががんの発生であります。命をつなぎ止める最終対応として、
の火を消さないために猛烈な勢いでがん細胞を新生させて、生命力を旺
にしている姿なのです。
 その強さは、過酷な条件の中で、力強く繁殖を続けうる雑草的な生命力
もつものであり、これを容易に消すことはできないのです。これを克服す
には、がん発生の根拠と機序を正しく認識し、正しい対処法を実践できるか
どうかにかかっています。
 負の生命力としてがん細胞を異常増殖させ、命の火をつなぎとめている
に、がん細胞以外の全細胞の活性化を図り、全体の生命力の向上、免疫機構
の修復を急ピッチで行わなければならないのです。
 非常対応手段の最終段階として、がんという症状を犠牲的につくることに
よって、個体の生命(命の火)を断ち切らないように保たせているわけです。

 本来細胞自身が、がん化したくてがんになるものではなく、まして個体
死なすことが目的であるはずがありません。従って、個体が一刻も早く本来
の生命力を取り戻し平常な状態をむかえてくれさえすれば、がん細胞は自ら
退散していく過程を必ずとっていくのです。 
 がんは人間のみでなく、他の動物にも魚類にも植物にも普遍的にみられる
ものであり、いわば必要悪の状態である点をまず認識しなければなりま
せん。個体の生存を保つバランスの上で、やむをえず無理な働きをしてくれ
ているわけです。負の生命力としての作用を黙々とこなしてくれている
生命防衛隊の影の先鋭部隊であるのです。悪の使者扱いされては彼らは、
うかばれない存在となってしまいます。
 わかりやすく言えば、負の生命力としてがんを発生させ、命の火をつな
ぎとめてくれている間に、つまりときを稼いでいる間に正常細胞が、正常
な働きを取り戻せば生命は救われますがこの機を逸すれば、がんによって命
が失われることになるのです。

 がんを、命を守るための最終対応の姿として、負の生命力と位置づ
けていますがこれまで解説してきました体内の高熱や炎症も、負の生命力の
一環として捉えることができます。
 人体にとって365分以上の高熱の発生は、さまざまな症状を引き起こ
ます。しかし全身の発熱は、体内の細胞の分子運動を活発にし、身体を元に
戻す対応に他なりません。
そして全身の熱の発生だけでは修復できなくなると、次の対応は内部に部分
熱を発生して、個別に機能低下した組織・器官を修復しようとします。
これが炎症です。 炎症の発生は、腫脹、疼痛といったつらい症状
引き起こし、つい悪い反応と捉えがちですが、炎症を起こすことで組織・器
官を元に戻してくれています。
 発熱や炎症は、人体にとってつらい症状です。故にこれまで悪い症状
として、一方的に考えられてきています。しかし発熱、炎症はを発生
させ分子運動を活発にすることによって修復を図ろうとする、いわばこれ
も負の生命力の発現として捉えることができるのです。

 腫瘍(オデキ)も当然、負の生命力の一環であります。発熱・炎症・腫瘍
は軽度の負の生命力の発現と捉えてよいでしょう。そして最強度の負
の生命力の発現ががん細胞の増殖と位置づけられるのです。
 がん組織は血の海と形容されています。次々に新しい血管が新生さ
れ、血液が大量に動員されていきます。がん細胞の増殖の勢いは、この大量
の血液を糧(カテ)として、血の海とも火の海とも形容できるもっ
とも強いものでありましょう。

 命の火を消さないためには、負の生命力としてをともし、がんばら
ばならないのです。こうして、踏ん張ってくれている間に全体としての体力、
免疫力を回復、修復することに全エネルギーを注ぐ必要があるのです。
負の生命力をわかりやすく解説するにあたって、いくつか例をあげて考察
てみましょう。

 戦争を例にして説明してみます。
ある国と国が戦争になった場合、当然国家は生き残ろうと対応します。
一方の国が国境を越えて攻め入った場合、これに応戦します。しかし戦力
弱かったり、整っていない国は前線を破られて領内に侵入されてしまいます。
攻め入られた国は、生き残りをかけて非常対応手段として玉砕覚悟の決死隊
を編成します。この決死隊が前線で敵をなんとかくい止め、時間を稼いでく
れている間に、残った国内兵力を修復、整備したり全力をあげて国力を高め、
侵入勢力を撃退しようと試みるはずです。そして兵力、国力が整えば、敵を
退散させることも可能になってきます。

 次の例をあげてみましょう。
金属の錆(さび)は、悪いものとされています。しかし、鉄は表面が錆びる
ことによって、それ以上の内部の腐食を防ごうとする自衛の役にもなって
ます。故にこのさびを根こそぎ取ってしまうと、また防護のためにすぐ表
を錆びさせます。何度繰り返しても同じです。取れば取るほど鉄という物体
は消失してしまいます。実は、がんを悪者として取り去ったり、抗がん剤、
制がん剤で殺してしまう処置は、この鉄のさびの例と同様の結果を招く可能
性があるのです。

 次の例として、かびを考察してみましょう。かびが生えるという
ことは一般的には悪い現象です。物を腐敗させてしまいます。しかし、かび
中には、逆に新しい命を発生させ、そのものを違った形で存続させるもの
があります。日本に古くからあるかびを利用した発酵食品は、実に多彩です。
かびを使うことによって、酒、味噌、醤油、納豆、各種漬物類を作り出して
います。特に味噌、納豆には、大豆というものをかびさせることによって、
元の大豆は死んでしまいますが、成分、栄養素を変えて、より有用な食品と
して生かし、保存食として、長期間持たせることを可能にしています。
かびをわざと発生させることにより、より有用なものを発生させ長く生かし
続けているのです。

 次に、孔子のことばの中から例にあげてみます。孔子は「身を殺して仁
為す」ということばを残しています。「身を殺して仁を為す」とは、わが身
を投げ打っても仁のためにつくす。自分の命を犠牲にして、人道の極致を
就する、という意味になります。しかし、この死はけっして無駄ではなく、
他をより生かせることにつながっています。

 負の生命力をわかりやすく解説する例として4例をあげました。多少ニュ
アンスの異なるものもありますが、何かを犠牲的に発生させることによっ
本命を生かすことにつながるという点においては共通です。負の生命力とは、
以上の説明の中から、理解していただければ良いかと思います。
 がんというものが、個体を死なすことが目的であるはずがありません。
それは「生へのプログラム」がされている生物として、当然備えている最
の非常対応手段なのです。
 がんは、人間のみでなく他の動物にも魚類にも植物にも普遍的にみられま
す。いわば、必要悪の状態です。その現象だけみれば良いことではない
ように思われますが、個体の生存を保つ、最終対応の中でやむを得ず、無理
ながんばりをしてくれている姿になります。
 従って個体が一刻も早く生命力を取り戻し、ある状態にもどりさえすれば
がんは、自然に退散していくものです。がんが自然消滅していく例は医学
でもたびたび耳にすることがあります。

 がんを悪の権化として、敵として恨み恐れ、抹殺、征服することしか考え
ないのは、あまりにも一方的といわざるを得ません。
 がんを早期発見して、切り取ったり、薬で殺してやっつけたりすることは
「がんを治した」ことにはならないのです。なぜならば、がんは非常対応手
段の第五段階であり、前の四段階が改善されているわけではないからです。
一時的に見かけ上、切り取ったり、殺したりしたにすぎません。その人が非
常対応の四段階目にある限り、がんはいつでもまた再発します。がん発生の
根拠と機序をしっかりと認識しなければ、この過ちを永遠に繰り返すことに
なる道理をまず理解しなければならないのです。

 植物のがんの中によく見かけるわかりやすい例として、トマトのがん
があります。温度落差の大きい高原で栽培された野菜は格別ですが、中でも
トマトはすばらしいものです。ことに身内にがん(真っ黒なしこり)を蔵し
がら真っ赤に完熟したものは、形は不恰好ですが、味はまことにおいしいも
のです。枯れて、腐って落ちることなく生をまっとうした姿であり、力強
生き抜いた証(あかし)で、あります。
 人間の場合でも、がんを切り取ったり薬で処置せずに、共存して生きるこ
とを決意して、自己の天寿をまっとうされたかたがたも多数おられます。
その方たちは、がんに負けることなく、おだやかに健やかな生活を送られ
豊かな人間性を深く秘めていらっしゃいます。

 トマトのがんを科学的に分析すれば、カルシュウム欠乏、水分の不足、
チッ素過剰、あるいは異常気象の反復等、原因はあげられます。
 そして、生きる対応として、負の生命力を発現し、がんを発生させていま
す。しかし、見事に共存し、枯れて腐ることなく生をまっとうしています。
 人間の場合でも無意識にがんを局所に閉じ込めて、個体の生命を80才、
90
才まで、保たれる例は多いものです。また他の病で亡くなった人を解剖
して、トマトのがん(石灰化)のようになっているのを発見されることが多々
あります。自然界にはこのトマトのがんに類似したがん的な例は数多く存
します。何もしないでがんと共存していくという選択肢も十分に考えら
れるのです。 

 もっと大切なことは、がんというものが命を守る非常対応手段の最終対応
として、命の灯()を消さないために負の生命力を発現し、がん細胞を
増殖させることにより、命をつなぎとめてくれているという事実を知らなけ
ればならないことです。そして、時をかせいでくれていることの事実に気づ
いてほしいのです。
 この機を逸せず、個体全体の生命力、免疫力の修復に全力をあげ、衰えた
正常細胞を活性化させることにより、がんを発生させる必要のない「場づく
り」をすることが、もっとも肝要なことであります。これにより、がんを
主退散させることは、十分可能だと考えられます。なぜなら、これはがん
生の根拠と機序にのっとった方法であるからです。

自然良能への道

()がん発生の根拠と機序をしることのたいせつさ

 ここまでがん発生の根拠と機序を詳細に解説してきました。現代人がも
とも恐れ、不治の病、悪の権化という死のレッテルを貼られているがんを、
180度転換した視点で捉えなおす試みでありました。
 これまで、このような視点に立って、がん発生の機序を見つめたものは
在しません。しかし、何も難解なことを主張しているわけではありません。
きわめてあたりまえな「天然態」な考え方です。
 生物として、命を存続させていく「生へのプログラム」の視点に立てば、
幾重にもはりめぐらせた生への対応手段を持っているのが当然です。そのシ
ステムを解読したにすぎません。命(生きる)とは、「内・外の環境の変化に
時々刻々変化対応している姿」です。

 昔の小学校唱歌の中に「鉄道」を歌ったものがあります。「イマは山中、
イマは浜、イマは鉄橋渡るぞと、思うまもなくトンネルの闇を通って広野原」
という歌詞です。イマはけっしてとどまってはいないのです。時々刻々にイ
マは発生しているのです。
 変化対応の姿こそが「命の本質」でありましょう。この観点に立てば、病
気というものが個体を死なすことが目的であるはずがありません。命を守
り、生き抜こうとする生への変化対応と捉えることこそ「天然態」で
あります。

 人体が生をまっとうするための条件としての恒常性維持機構(ホメオスタ
ーシス)に着目し、ホメオスターシスの中心的役割を「熱をすてるシステム」
として捉えました。熱をすてる通常システムに破綻が生じた場合、その非
常対応手段が各種症状としてあらわれてきます。
その非常対応システムを5段階に分類しました。
  (1) 皮膚病としての対応
  (2) 体表にできる腫瘍としての対応
  (3) 体内の水症としての対応
  (4) 体内の腫瘍としての対応
という段階的対応システムです。
そして最終的対応の姿として、第五段階目にがんの発生を捉えています。
さらに負の生命力として、がん発生の機序を解説しています。この二つ
の解説から、がん発生の根拠と機序を正しく認識していただきたいのです。
発生の機序を「正しく知る」ことにより、大脳(人間脳)を最高度に発達させ
た我々人類は、その対処法をも獲得することが可能になったのです。
「正しく知る」ことにより、間違ったレッテルをはがし、不治の病としての
怖や不安からも人は脱却できるのではないでしょうか。

() 細胞のアポト−シス(自殺死)について

 今から約25年位前に現代生理学の成果として細胞のアポトーシスとい
発見がありました。これは何かといいますと生命の最小単位であります細胞
には、細胞自身が自らの死を選択できるシステムがプログラムされていると
いう概念です。
つまりあらかじめ、プログラムされた自殺死ということです。細胞はその命
を自ら絶つことができるシステムを持っているのです。これを「アポトーシ
ス」とよんでいます。現代生理学の偉大な発見のひとつでありましょう。
 人間は多細胞生物として60兆〜70兆といわれる細胞によって、すべての組
織、器官がつくられています。例えば、肝臓を作っている細胞は、たいへん
新生が早く、肝臓のほとんどを切り取っても約60日くらいで、元の大きさに
再生できるといわれています。  
 アポトーシスを解説するにあたって、わかりやすい例として皮膚の表皮
胞を取り上げます。人体の皮膚は通常一ヶ月くらいで表層が脱落して、アカ
となって入れかわります。入れかわるということは、その細胞の死を意味し
ています。これは人体が生きていく上で必要な新陳代謝機能です。
いいかえれば、命を守る対応であります。
 表皮細胞のアポトーシス機能によって、細胞の自殺過程を作動させて脱
落させているのです。あらかじめプログラムされていないと、この機構は作
動しないことになります。生きるために新旧交替させて、表皮の機能を常
一定に守ってくれているのです。体表の場合は、細胞の死骸をアカとしてす
てることができます。では、体内のアポト−シスによる細胞の死骸はどう処
理しているのでしょう。 

 生命体は実は精妙なリサイクルシステムを完備しているのです。死んだ
胞は自ら細かく分解され、すみやかに貪食細胞が処理しているのです。
しかしこれはアポトーシスによって自殺した細胞に限られています。
 抗生物質や抗がん剤等の薬によって、人為的に他殺に追い込んだ細胞は、
自らの分解作用が作動しません。このために組織に熱を発生させ、あるいは
炎症状態を作り、分解処理をしなければなりません。故に患部の治癒過程は
遅くなり、そのためのエネルギーの損失は大きくなってしまうのです。
 薬物によって、他殺死に追い込んだがん細胞の処理は上記の通りであり、
さらに周囲の正常細胞をも他殺させているために、組織の修復と治癒過程
莫大な時間と生命力の低下を招くのは必然となってくるのです。

 がん細胞を根こそぎ取り去る外科手術と抗がん、制がん剤による細胞の
殺死(ネクトーシス)は、個体全体の生命力、免疫力を急激に低下させること
になるのです。
 アポトーシスとは、細胞にあらかじめプログラムされた自殺死です。死ぬ
ことによって他を生かす手段といえましょう。この自殺という死も、命を守る
ための対応システムとして人体に備わっているものです。逆に考えれば、
自殺がプログラムされているなら、生へのプログラムは、もっと精妙に幾
重にも完備されているという(あかし)”となるのではないでしょうか。

 あたりまえすぎて、逆に見失ってしまった概念、それは生物は生きる、
生き抜くという方向へ生へのプログラムがなされているということです。
 アポトーシスの概念の発見は、生へのプログラムの証明でもあったのです。
あまりにも身近すぎて、かえって見えなくなってしまったもの、この概念の
欠落が今おきている症状のすべてに病気の名前だけをつけ、結果的には生命
力、免疫力を低下させ病気を治せない状態に陥らせてしまっているのではな
いでしょうか。病気の原理を究明しているはずの医学を本末転倒の状態に陥
らせてしまった根元の問題点ではないでしょうか。
 その延長上にあるのが、病気はすべて悪い反応という一方的な解釈です。
その最高峰に位置するものががんであり、がんは、悪の使者悪の
権化死の病という認識は、ぬぐえないものになってしまったのです。
故にがん細胞は、ネクトーシス(他殺)しなければ治らないという頑固なま
の思い込みを生む結果となってしまったのです。
 
 細胞のアポトーシス(自殺死)という概念の発見は、がん治療への新た
方向性を示すものです。その前提となる細胞の生へのプログラムいう
一番大切な概念のもとに、全身はりめぐらされた対応システムの一環にアポ
トーシスも存在しています。
 がん細胞を他殺でなく自殺に持ち込むことは、十分に可能です。以下そ
対処法を考察してみたいと思います。

() どう対処すべきか

 非常対応手段の四段階を経て、最終対応の第五段階として発生したがんは、
がん組織だけが病巣ではありません。これは当然個体全体の生命力の低下、
免疫機構に破綻を生じた結果として人体に発生したものです。
負の生命力を発現させて、命の灯をつなぎとめてくれている間に、最大
の修復・整備のための努力をしなければなりません。それはがん組織以外
の正常細胞の新陳代謝のリズムを正常に働かせることが、すべてのもとに
ります。まず欠乏している生命力を補給する方法を行うことが肝要です。

 日本伝承医学の提唱する「命の物理」に基づいた大気、大地電気を吸着
させ体内の電気レベルをあげることです。骨に電気を発生させ、エネルギー
物質(体内ミネラル)の貯蔵庫であります骨の隠された機能を発現させなけ
ればなりません。(命の物理の項参照・詳細は次項)また最もふさわしい食
物をとり、睡眠、運動、呼吸という生きるためにかかせない要素をまず改善
する必要性もあります。

 がんの発生の根拠と機序を正しく認識し、これによって精神状態も整えて
いくことがたいせつです。衰えた正常細胞を活性化させ、がん細胞が「がん」
をつくる必要のない「場づくり」を整備することが急務です。
わかりやすくいえば、がんによってときをかせいでいる間に、正常細胞が
正常な働きを取り戻せば、生命は救われます。この機を逸すればがんによ
って命を失う結果になる可能性があるのです。
 一面的なサプリメント(栄養補助食品)に頼ったり、特効薬探しに終始する
ような次元の発想では個体全体の生命力や免疫力を高めることはできません。
 正常細胞を正常に働かせるには、もっと全面的なアプローチを必要としま
す。特にがんをねたみ、恐れとして征服しようと考える思考や精神では、
心の脱力が達成されず、肉体の緊張は、持続したままになります。そのた
めには、どうしてもがん発生の根拠と機序を正しく知り、がんを敵として征圧
しようという思考を改めなければならないのです。捉われの心を作って
なりません。
 個体の正常細胞が正常な働きを取り戻せば、それは、全体としての生命
を高め、免疫力を高めることにつながります。そして「場づくり」が整えば、
がん細胞をアポトーシス化に持ち込むことも十分に可能です。
 免疫細胞とがん細胞のバランス関係はオセロゲームに例えられそう
です。取り囲んだものは、反転して自分の味方になるのと同様です。
けっして闘うわけではないのです。自主的に反転していくのです。

 アポトーシス化にスイッチが入れば、自然消滅の過程をたどるのでは
ないかと考えられます。
がん細胞が正常細胞に復するのではなく、修復に時間とエネルギーをかける
よりもアポトーシス化させて破棄処理し、正常細胞を新生させる方法を生命
体はとるであろうと推測されます。
 命を守る、生き抜くべく「生へのプログラム」がされた生命体は、無駄や
無理はしないはずです。極めて合理的、合目的に機能すると考えるべきでし
ょう。

 以上あげた方法が、がんの対処法として天然態な取り組みといえる
のです。しかし、再度忘れてはならないのは、がんが消滅すれば、健康体に
復したと考えるのは早計です。あくまでも非常対応手段の最終対応の姿が回
避されたに過ぎません。
 前四段階の非常対応は必ずしも好転しているわけではありません。これ
怠れば最終対応としてのがんの発生はいつでも再発の可能性をもっているの
です。発生の機序と負の生命力の発現というがんの本質を十分に理解するこ
とが対処法として最も肝要なことなのです。

「場づくり」のための家庭療法

 前項の「どう対処すべきか」の中で生命力を高める方法として、日本伝
医学の推奨する、体内の電気レベルを高める方法をあげました。その方法を
具体的に解説してみたいと思います。
 日本伝承医学概論の項で、「命の物理」と題して(詳細は命の物理の項参照)
生命を成り立たせている要素として、体内の電気レベルの一定をあげていま
す。人間のような多細胞生物においては、生命維持機能のための機能を細かく
分担化して働かせています。その中からは、細分化されているがために、
本当の命の物理が判別しにくくなっているのです。

 生命の最小単位は細胞になります。単細胞生物は一個の細胞で生きていま
す。単細胞生物が生きるための機能を、極限化して考察してみますと「命の
物理」がみえてきます。細胞内と細胞外を仕切る界面(インターフェイス)
あります細胞膜にその秘密が隠されていました。単細胞生物は、膜の内
外の電位差を状況に応じて可変することで命を存続させていたのです。
 命を成立させている仕組みは、エネルギー・物質・情報の三態です。こ
三態の受容・伝達・処理・反応を膜の内・外の電位差を可変させることで、
命を存続させています。

 私の命の定義は、たびたび述べてありますように「内外の環境変化に時々
刻々対応変化する姿」と捉えています。まさに、単細胞生物の命の物理と
同様です。単細胞生物が膜の内外の電位差を可変するためには、細胞内の
恒常性維持機能を一定に保っていなければ達成できません。
単細胞生物の細胞内の恒常性に一番関与しているのは電気であったのです。
つまり細胞内の電気レベルをある一定量に保たなくてはならないのです。
恒温動物であります人体が、体温を常に一定に保たなければならない機構と
同様です。(熱をすてるシステムの項参照)

 単細胞生物の細胞内の恒常性維持機構の主要条件は実は電気レベルの一定
化にあったのです。細胞全体の機能低下は、細胞内の電気レベルの低下であ
り、これを補充・充電することが細胞の生命力を高める絶対必要条件なの
です。この細胞の命の物理は、多細胞生物である人体にも当然あてはまり
ます。生命力低下状態にある個体全体の生命力を高めるには、低下した体内
の電気レベルを一定値まで引き上げることが最大の目標となってくるのです。

 低下した生命力を高めるためには、電気を補充・充電することです。
そのための方法、技術として日本伝承医学は世界に例のない理論と技術を
構築しています。誰でもができる家庭療法として、簡単で単純で、短時間で
できる技術になります(技術の概要の項参照)。安全性が高く、寝たきりの
かたでもベッドサイドからのアプローチが可能です。
 家庭療法として毎回取り組むためには、簡単で短時間にできることが条件
になります。これらすべての条件を満たしているのが日本伝承医学の中の
家庭療法としての技術です。これを可能にしたのが、命の物理に基づいた
電気の補充・充電法なのです。

 日本伝承医学の技術は、人体の「骨」と「水」(体液・血液)に着目し、技
術が構築されています。今まで誰も気づかなかった「骨と水」に対する
が技術のバックボーンになっています。
 この技術を理解していただくためには、この技術の背景となっている理
をしっかりと身につける必要があるのです。この認識なくして、この技術
有効に作用させることはできません。単なるものまねでは、あるレベル
までしか効果を発揮できないのです。また、この技術に他の技術を混合さ
て使用すると、刺激の相殺が起こり、もとのもくあみ状態にもどってし
まいます。何のために技術を行使したのか、まったくムダ骨と化してし
うことを理解しなければなりません。

 日本伝承医学の技術は、骨に電気を発生させることで、人体の上下左右、
内外に電位差を作る方法です。そして、それを有効に流すために「ゆり・ふ
り」という全体の体動を加え、流動電位に変換する技術です。故に余分な他
の技術を加えてしまうと、せっかく作った電位差を消失させてしまうことに
なるのです。
「何もたさない、何もひかない」ことがこの技術の最も重要な認識なのです。
技術のかたちだけで、背景となる理論をしっかり学ばなければ、ムダ骨
と帰すのみならず、刺激過多により患者の生体反応が大きくなり、これを
修復するために患者は、生体防衛反応を作動させなくてはならなくなります。
発熱や身体のだるさ筋肉の痛み等が発生してきます。病気のかたや高齢者の
場合、発熱がきっかけで、生命に危険を及ぼすことにもなりかねません。

 人の身体に技術を施すということは、一歩間違えば、命に関わることを
理解せねばなりません。そのために、厳選して安全で効果のある技術を家庭
療法として提示しているのです。家庭療法といえども命に関わることだとい
うことをまず認識していただきたいのです。技術とは単なる「技」だけで
構成されているものではありません。「理」の部分をしっかり身につけ症状
や病気を捉えなおし、ご家族のかたの病への不安や恐怖をぬぐい去ってあげ
られるだけの「知」をともなわなければ、日本伝承医学の技術は行使できな
いことを肝に銘じていただきたいと思います。

 以下「骨と水」を詳細に論述してみましょう。


 約30億年の地球上の生命進化の歴史をひもとくと、まず生命体は「海」から
生まれ、次第に魚類へと枝分かれし、約4億年という時間をかけて海から陸へ
と上陸し、人類の祖先である脊椎動物へと枝分かれしていきました。
 海は万物の母である証拠として、生き物の身体を形作っている元素(元素)
の組成と体液の組成は、海水の化学組成とたいへんよく似ているのです。
海という水の中にすべての元素が水溶液として溶け込み、それを化合する
「ゆすり」の場として海のうねりが存在したのです。
 まさに母の手の「ゆりかご」の中ですくすくと育っていく「赤子」のように、
生物は海で進化していったのです。海は万物の産みの場でありました。

 人体という構造体は一見すると固体であります。しかし、その内容物
は、内臓で満たされ、内臓はニュロニュロ、ドロドロした流動性のある物体
です。水系成分が70%でできている人体というものは、見方を変えれば、
「皮膚という皮袋の中に液体を充満させ、骨も内臓も筋肉も脳もその中に浮
かんでいる、ただよっている存在である。」とみることができるのです。
まさに、海のうねりと同様の動きができる構造体です。故に、人体を
大きく「ゆすったり」小刻みに「ふるわせたり」という波体的な動きを作り
出すことも可能なのです。

 日本伝承医学ではこれを応用して、体内の「水」をゆする技術を考案し
います。人体を液体と捉える着想の中から生まれた操法であり、大きなエネ
ルギーを生み出すことが可能な技術です。
 内臓や子宮をゆすることにより、新たな細胞新生を促進させることも可
能となっています。
 脊椎動物の支持組織である「骨」は大部分がカルシウムから成っています。
原初生命体が海水に発生したとき、その中に多く含まれる元素、カルシウム
を利用したことは当然と思われます。カルシウムはすべての細胞の機能調節
物質として最も重要な物質で、生命維持にかかすことができない元素であり
ます。
 故に、陸上に生存することになった生物は、カルシウムを十分に供給でき
るシステムを体内にもたなければ、生命を維持できなかったのです。

 脊椎動物である我々の人体は「骨」を身体の支持組織として利用するという
働きに加えて、母なる海に代わってカルシウムを主成分とする生命維持に必
要なすべての元素を骨に貯蔵しました。そして必要に応じて血液、体液に
溶出し、人体のすべての組織に供給する役割を担うことになったのです。
 脊椎動物における骨の形成は、単に陸上の重力(1G)に対応できる支持組織
としての骨格だけでなく「物質・エネルギー・情報」の貯蔵庫として働いて
いるのです。
 人体の血液、体液()の成分組成は母なる海の海水成分とほぼ同等と
われています。この「水」の成分組成を常に一定に保たなければ、生命維持
はできません。
 例えば腎機能が低下して、血液、体液()の成分調整ができなくなると
人工透析が必要になるように、体内の「水」(血液、体液)は常に一定の成
に保たなくてはなりません。
 この成分調整に関与するのが「骨」の中のカルシウムに代表される各種
ネラル成分の溶出なのです。骨という貯蔵庫がなければ、これは達成できな
いのです。

 身体の中で目に見えて活動しているのは内臓であるため、これまで骨
重要性はあまり、研究されてきませんでした。しかし骨は内臓と同じくら
どころか、内臓を生かすために、生命維持にとって欠かせない重要な役割を
もっていたのです。すべての生命元素を溶け込ませた「水」が最重要物質で
あり、その貯蔵庫としての役目と、成分調整を「骨」が担っていたのです。
 骨こそ、生命活動の中心たる「物質」が集積している器官です。その代
たるカルシウムは、すべての細胞の機能調節物質として最重要であります。
ナトリウムとカリウムと一緒に細胞の受容・伝達・処理・反応に一番関与す
る物質でもあります。細胞が生きるための、細胞呼吸、エネルギー、代謝は、
実は「骨」が関わっていたのです。

 さらに骨のもつ重要な働きとして、骨髄の中にある造血幹細胞の存
在があります。この幹細胞は特殊な細胞で、他の細胞は死滅しても幹細胞は
生き続けます。この幹細胞の持つ情報があれば新たにすべての細胞を復元で
きるのです。血管を新生させることも皮膚、内臓、筋肉、骨等すべて復元可
能な細胞といわれています。
 現代医療の世界もこの作用に着目し、幹細胞を増やす作用のある薬物
骨髄に注入して、血管新生に応用し始めました。(心臓病で血管狭窄をひろ
げるよりも新たな血管を作り出す作用に応用)しかしこれも一時的な対症療
法の域はでません。幹細胞の機能を活性化させるには、骨髄の場の環境とし
ての電気レベルを高めることが必要条件です。
 幹細胞はDNAの総元締めともいうべきもので、生命情報の源といえる
存在です。また緊急時においては、幹細胞が母体となって血液を作り出して
います。昨今の「遺伝子治療」は人工的に作り出した正常遺伝子を骨の中の
この幹細胞に移植する方法です。
 以前は不治の病と考えられていた遺伝子病も、この幹細胞に正常遺伝子を
注入することで悪い遺伝子の生産が中止され、正常な遺伝子が作られるよう
になりました。しかしこの治療法はまだクリアすべき問題が多々あるよう
です。場の環境が整わない限り、遺伝子を組み換えても、その遺伝子は定着
できないのです。

 ここで注目されるべき点は、幹細胞が骨の骨髄の中にあるということです。
骨はまさに生命活動の中心たる「物質・エネルギー・情報」の集積している
器官であります。
 その中の骨髄は骨の中の海水()に相当する部分です。
昨今波動水なるものが登場しています。水に情報を記憶させることができ
るならば、骨の中の水系成分に満たされた骨髄に情報を集積しておくのは、
生命体として当然なことです。

 この骨に電気を発生させ、骨の持つ多様な機能を高めることを目的とし
たのが、日本伝承医学の技術なのです。
骨の両端からを加えることで圧電現象(ピエゾ効果)を生起させ、電
気を発生させるのです。つまり人体の「場の環境」を変えることができる
技術なのです。この圧電効果は、すでに実証済みです。
 骨折治療において骨に電気を流すことで、破骨細胞と骨芽細胞の二つ
機能を促進し、骨折の治癒が著しく早まるという実験結果が世界各地で報告
されており、実際の医療の現場ですでに応用されています。
 これは外部から電極を骨に装着し、電気を流す方法です。これに使う電
気量は極めて微弱なものが有効だそうです。これと同じ効果が実は日本伝承
医学の骨に圧をかける(ピエゾ効果)ことで生起されることが実証されてい
ます。骨に圧力が加わる側にマイナスの、引っ張り応力のかかる側にプラス
の電気が発生することがわかっています。これにより前述の外部から電気を
流す方法と同様の結果が得られるのです。
 この二つの方法は、すでに治療に応用されています。骨に「圧」をかけ
て発生する圧電電気の電気量はわずかなものです。しかし、微弱な電気によ
って、骨は十分に機能を発現できるのです。これは電気のエネルギー作用と
ともに、情報としても作用していると思われます。情報としての作用が働く
からこそ、高い電圧を必要としないのです。

 足の26個の骨にわずかな「圧」をかけることで、電気を発生させ、骨のも
つ多様な機能の発現を可能にする技術であるのです。
 足という場所は全身の縮図とよばれ、また、足の裏にある圧センサーに
よって、脳と直結しています。また、足の骨の26個という数は、脊柱の椎骨
の数24個と仙骨、尾骨を加えた26個とも同数であります。肋骨の数も左右
12
対の24個、両鎖骨をくわえて26個、頭の骨23個、左右耳小骨2個と頸椎
の中間に位置する舌骨を加えると26個になります。
 数の上からも、足部、脊椎部、肋骨部、頭部との連動は足の骨との相関
関係がうかがえます。けっして偶然ではないのです。足の骨の一個一個は、
全身のすべての骨と連結されているのです。

 日本伝承医学の足の技術は、骨に圧をかけることで電気を発生させる技
術であります。足の踵(かかと)と足の趾(ゆび)の二個所を把持するというこ
とは、全身の縮図からすれば、足部と頭部に相当します。
 前述した骨の数の相関、全身との縮図、姿勢制御のための圧センサーの
役割と合わせて考察しますと、足を操作するだけでまさに瞬時に全身に刺
激を波及できる驚嘆に価する技術なのです。

 日本伝承医学の技術は、人体の「骨と水」に着目し、生命活動の中心たる
骨に電気を発生させることを目的とした技術であります。骨は単なる身体の
支えではなく、生命維持にかかせない重要な役割をもっていたのです。
 骨は骨髄幹細胞を内包し、遺伝子の複製、遺伝子の機能発現を可能にし、
また血液、体液の成分を常に一定に保つために、カルシウムに代表される
生命元素を電解水として溶出し、人体の全細胞の細胞呼吸、エネルギー代謝
をコントロールしていたのです。
 骨に電気を発生させるということは、骨内のみならず、全細胞の電気レ
ベルを高めることことにつながります。

 人体内の低下した電気レベルを高められるということは、「命の物理」
に基づいた電気を補充・充電できるということです。これを「家庭療法」
として毎日行使できるということは、生命力を高め、衰えた正常細胞を活
性化でき、負の生命力を発揮しているがん細胞を、作る必要のない「場づく
り」を促進する最良の方法となるのです。
 生の生命力への「場づくり」が進めば、がん細胞を自主退散にもちこめ、
がん細胞のアポトーシス化が十分可能となります。
 この日本伝承医学の推奨する「家庭療法」を実践され、自然良能への道を開
いて頂ければ幸いです。

日本伝承医学技術の概要

  日本伝承医学の技術は、機械や器具を用いるのではなく、「手」を使
た手技療法になります。この手技は、筋肉を押したり、もんだり、関節を矯
したりする技術とは異なっています。足を開いて角度をとって、かかとを
ストンと落下させたり、「ゆり・ふり・たたき」といって、人体を水の入った
容器と考え、気持ちよく体を「ゆすったり」、小刻みに「ふったり」、手刀
リズミカルに「たたいたり」という方法を用います。
 これらの技術は、初心者でも簡単に修得でき、安全で、危険な要素を含み
ません。「命の物理」を解明することによって、技術を簡単に、単純に、短
時間にすることが可能になったのです。
 家庭療法として用いる場合に、いちばん大切なことは、安全な技術である
ということです。そして、誰もが修得できる技術であること、しかも短時間
で行なえることが必要条件です。

  日本伝承医学の技術は、これらの必要条件をすべて充たしています。
手慣れができれば、3分間で終了することが可能な技術です。もちろんプロ
の治療家をめざすには、その他、専門の技術を、修練を積む中で身につけて
いかなければなりません。
  家庭療法の技術は安全で効果のある技術の集大成であり、「命の物理」
に基づいている故に3分間で可能なのです。どんなに優秀な技術であっても、
長時間かかっては家庭療法としては不向きです。時間のかかる技術は受ける
側も気がねになり、やる方も疲れてしまい、長続きできないのが現状です。
お互いに疲れない短時間で行える技術であればこそ、家庭療法として毎日行
なうことができるのです。
  さらに大きな利点は、寝たきりで、起き上がれない病気の人に対しても、
ベッド上で行なうことができる点です。姿勢を大きく変えたり、病気の人
苦痛や恐怖心を与えることがないのが特徴です。しかも一日何回行なっても、
刺激過剰になることはありません。それは、他の技術と根本的に治効の概念
が異なっているからです。

日本伝承医学の技術は、足部に手技でもって電気を発生させ、人体内に
電位差をつくり、人体の電界を調整し、体内電気を補充・充電することを
目的としたものです。わかりやすくいえば、自動車のバッテリーあがりに
例えられます。車のバッテリーが不足するといくらキーを回してもエンジン
はかかりません。しかしバッテリーに電気を補充・充電すれば、エンジンは
スタートできるのと同じ原理なのです。故に万病に対して、同一の技術で
対応できるのです。いわゆる診断、治療個所の選択がいりません。

家庭療法としての日本伝承医学技術は「原理」を理解できれば、誰でもが行
なうことができ、安全で効果の高いものです。まさに世界に例をみない
「命の物理」に基づいた、手技療法になります。

「がんを捉えなおす」おわりに

 「がんを捉えなおす」と題して、がんの発生の根拠と機序を解読し、その
対処法を提示し、生命力を高め、がんの自然良能を促進する家庭療法を紹介
してきました。
 生物は、その生をまっとうできるように「生へのプログラム」が設定され
いるという原理に照らして、論を進めてまいりました。これが天然態
としての生物の真の姿でありましょう。この観点に立てば、病気が個体を死
せることをするはずがありません。すべての病や症状は個体を死なせるこ
とを目的にしているのではなく、生かそうとしている姿なのです。
 病気を捉えなおす作業を始めて約20年が経ちました。その集大成として
の作業が「がんを捉えなおす」という今回のテーマであります。がんも病気
の一形態でありながら、死の病、不治の病として、恐れられ、悪の権化の
ように認識されています。がんを発見された場合の対処法は一律に、がん
細胞を根こそぎ取り去る外科手術、制がん・抗がん剤放射線等で徹底的
殺してしまうという方法がとられています。稀に免疫療法、その他の療法
も試みられますが、これ以外の選択肢はほとんどないのが実情です。

 はたしてこれが最良の選択なのでしょうか。患者さんや家族のかたの中
にも、釈然としない思いで、迷いながら外科手術及び抗がん剤治療を選
されるかたも多数いらっしゃるものと推測されます。このがん治療の新たな
選択肢のひとつとして、この「がんを捉えなおす」というテーマを完成させ
ました。
 正直なところ、この論は「総論了解、各論未整理」の段階ではあります。
その段階での提示は、はなはだ遺憾に思うところも多々ございます。しかし、
急がねばという思いが先行したのも事実です。こう考えている瞬間にもがん
で命を絶たれるかた、戦々恐々とした思いで生きられているかたがたが大勢
おられるのです。
 総論としてのがんへの捉え方はほぼ完了しています。新たな選択肢を提示
すると言うことは、がんに対する認識を根底から変えていかなければなりま
せん。自然良能の道を選択していただくためには、がん発生の根拠と
機序を明確に示す必要があります。

 この「がんを捉えなおす」の解説の中からがんに対する認識を新たにし
いただけるきっかけになれば幸いです。そして、がん治療の選択肢の中のひ
とつとして加えていただければ、とせつに願います。わかりづらい、つたない
解説は、いずれ項目を改め、より進歩した形で提示する所存です。
生きる”“生きている姿とは内外の環境変化に、時々刻々変化対応し
いく姿であります。この変化対応は、生をまっとうしようとする正への対
の方向性であることを私たちは忘れてはならないのです。