当地は、歌人であり精神科医でもある斎藤茂吉
(さいとうもきち)の長男斎藤茂太(さいとうしげた)が
東京府立第八中学校(現在の小山台高校)から
大学迄を過ごしたゆかりの地になります。
 先代の当主、栗原善範(くりはらよしのり)は
小山台高校の数学の教師であり、教え子であった
茂太をここに下宿させ、家庭教師として寝食を共に
し過ごしてきました。栗原善範は数学が苦手だった
茂太に、とにかく大学にはいくようにと指導しました。
 茂太はその後明治大学文学部を経て、昭和医専
卒業、慶應義塾大学大学院医学研究科に進み
精神科医となりました。
 弟の北杜夫(きたもりお)も小説家であり精神科医
になります。斎藤茂太は、愛称モタさんと言われ、
日本の精神科医の第一任者として国民に親しまれ
てきました。
 モタさんの言葉は言霊、ことだまのようにたくさんの
人々に癒しと安らぎをもたらしました。
栗原善範が晩年昭和医大に入院した際に、当時
昭和医大の名誉教授であった斎藤茂太は、特別
のはからいをしてくださり、「栗原先生のおかげで、
わたくしは医者になれました。」と言われたそうです。
 栗原善範が小山の地に築き、斎藤茂太を育てた
この場所は、薬の木であるくすのきから命名され、
くすのき荘となりました。
 ここは中庭に井戸のある磁場が非常に高い、
イヤシロチになります。春には大和本草(やまと
ほんぞう)の、どくだみ草で庭一面が埋めつくされ
ます。長い歳月と共に大地電気を受け、守られ
てきた古民家が、いま再び息吹きを吹きこまれ、
日本伝承医学の臨床の場として蘇生しました。
イヤシロチとしての大地エネルギーを受けた
日本伝承医学が、皆様方の健康の一助と
ならんことを願います。         
         日本伝承医学主幹 有本政治