経絡の本体

 中国では、二千年も前から鍼灸を治療法として実行している。ところが、
昔から今までに出版された鍼灸の本は山ほどあるにもかかわらず、なぜ鍼灸は
効くのか、納得のいくような説明はたいてい十分にされていない。
実際、臨床的事実として、現象としてあらわれてもその治効理論については、
十分にわかっていないというべきであろう。

 中国の古典医書である「素門」「霊柩」では、その治効の本体である「経絡」
(共通のツボとツボを線上に結んだ内臓の反応線)について、要約すると次の
ように説明されている。


『人間の体には、左右十二対の経絡というルートがあり、その内外を
「気血営衛」といって、人間の活動のもととなるエネルギーが流れており、
一昼夜で五十周する。そして、それはネックレスのように、一連のつながりで
あり、この循環が滞りなく行なわれていれば、人は健康であるが、この気血営衛
が一個所でも滞ったり、あり余ったり、不足したりすると、そこに痛みや病気が
起こる。このような時に鍼・灸を適切なツボに行なうと、気血の過不足を調節し、
エネルギーの流動が滑らかになるので、痛みや病気が治る』

 経絡というものが本当に存在するのか、現代の医学は疑わしいと考えている。
解剖学的にも神経学的にも生理学的にも、目に見えない経絡などというものは
存在しないというのが大方の見解である。しかし、それは固定概念に捉われた
大変な誤解である。物質、物体として目に見えるものだけ、つまり有線である
ことだけが人体の伝達制御系・エネルギー流通系でなくてはならない理由は
どこにもない。事実、有線系である神経・血管・リンパ系だけでは、人体の
運動・生理は制御できない。もっと高速度な伝達系が必要だと言われている。
例えば、テレビのリモコン装置は有線でなくてもいくらでも、テレビのON‐
OFF、音量調節、四十チャンネル(同調変換)、画質まで機能調整させる。
故に、目に見えない存在(無線)であっても人体の情報伝達系、エネルギー系に
関与し生命維持に欠くことのできないエネルギーや信号のルートとして実在
できるはずである。

 東大医学部心療内科の石川中氏は次のように述べている。
『生体には二つの系がある。一つはエネルギー系で、他の一つは情報系である。
エネルギー系は体の本来の活動に関与する系である。筋肉の運動、血液・リンパ
の循環、消化、呼吸、再生、排泄等の機能をなす系(漢方医学の木・火・土・金・
水の五行の性質に該当)で、生体のエネルギーの大部分はこの系で作り出され、
消費されている。一方、このエネルギー系を制御・統制する系が情報系である。
エネルギー系の活動状況を刻々と知り、これを適正な許容範囲に置き、最も効率
良くこれを運用せしめるのに必要な系である。これに必要なエネルギーは前者に
比べ、かなり少ない。自律神経系、脳脊髄神経系、内分泌系等はこれに属する。』
この観点に立って、「経絡」を考察すると、どうも経絡は生命の維持・活動の
何らかのエネルギーや情報のルートであろうという仮説ができあがる。

 人間が生きているということは、動いているということと同一である。動く
ということは、何らかのエネルギーが必ず必要である。それも、死の瞬間まで
絶えることのない「永久機関」としてのエネルギーが必要である。
そのエネルギーはどこでどうやって作り(内部)、どこからどうしてとり入れる
のか(外部)。そして、エネルギーを作り、とり入れるだけでなく、
再生(リサイクル)し、必ず外部に排出しなければならない。こう考えると、
経絡は人体のエネルギーの体内造成の輸送ルート、造成されたエネルギーは体内
で燃焼され、その熱を体外に放出しなければならない。そのための体内の「熱」
の放出ルート、もう一つ、体外からのエネルギーをとり入れ、それを体内に
運ぶ輸送ルート。つまり「出入」のルートとしての作用が浮上せざるを得ない。
鍼灸の古典の記載に見える、経絡経穴の説明は、「神気の遊行出入するところ
なり」、あるいは、気は「昇降出入」がその作用である、と述べてある。
これと見事に一致しているわけである。

 つまり、体内の二つの系である、情報伝達系とエネルギー系の二つに作用し、
情報系への伝達ルート、エネルギー系への出入ルートとして、経絡をとらえる
必要がありそうである。そのためには、人体中を縦方向と、横方向に結ぶ無線系
のネットワークが必要となるのである。「経絡」とは、経脈と絡脈のことであり、
経脈とは人体の縦方向、上下に走行するルートであり、絡脈は横方向に連絡する
ルートであり、故にネットワークとしての役目ということになるのである。

 情報伝達系としての経絡は、巷(ちまた)の無線系の伝達系統の受容・伝達・
処理・反応と同一にとらえればよい。それは、シグナル形式の伝達であり、
波動性を主体とした色であり、形であり、音であり、光であり、電磁波である。
また、人間の意思(ある方向性をもったエネルギーといえる)にも、受容・伝達・
処理・反応する。経絡は極めて多彩で、微細なシグナルにも反応する伝達系
なのである。


 このように、伝達系としての経絡をとらえると、これまでの未解決な問題が
みごとに統一的に見えてくる。例えば鍼、灸、冷却、各種手技療法、水晶や石
を使う療法、霊的治療、宗教的現象、Oリングテスト、音楽療法、光線療法、
ホメオパシー等にみられる現象も、ある波動性をもったシグナル(意思、電磁波等)
であり、それは実に微細であってもそれを受容、伝達、処理、反応できる伝達
システムであるとすると、これらを解決する「鍵」となりそうである。

 次に、エネルギー系としての経絡であるが、これは経脈を主体としたもので
ある。体内でエネルギーを造成し、また外界のエネルギーを皮膚を通して内部
に蓄電し、しかも、燃焼したエネルギー、つまり「熱」を体外に放出・排出
しなくてはならないわけであり、内部と体表を結ぶルートの確保は必然となる。
そして、縦長な構造物として存在する人体にあっては、それを上下に交通する
エネルギーの通り道を設定しなければならない。この観点で経脈をながめて
みると、すべての経脈は内臓と体表との間にルートが存在し、人体の縦方向に
上下する陰経(下から上)、陽経(上から下)の経脈がみごとに設定してあるので
ある。ここで考察しなければならないことは、エネルギーの通り道としての系
ならば、人体に作用するエネルギーは何かという問題である。

 人体内は、ある温度を維持しないと生命は維持できないことになっている。
これは、生体内において、熱エネルギーを必要としているということであり、
これをなんらかの方法により作り出さなくてはならない。それを作り出す器官
は内臓諸器官である。そして、体温が四十二度以上に上がると、タンパク変性
を生起し、生命維持できなくなる。その熱を放出する方法は呼気と汗と大・
小便ということになる。それをつかさどる器官は肺と皮膚、腸と腎臓となる。
故に人体は肺と腎を二つずつ備えているのであり、また、皮膚と腸の重要性も、
うかがえるのである。そして、直接的に内臓と体表とを結ぶ熱の放出ルートと
エネルギーの搬入ルート、それが経絡(特に経脈)ということになる。故に経絡
はすべて内臓と連絡されているのである。これで、内部と体表とを結ぶ経絡の
作用は解決がつきそうであるが、経脈の走行は人体を縦方向に上下に走行して、
頭部と足を結んでいる。これは、どう解決したらいいのか。上下方向に流れる
エネルギーは何なのかを解明しなければならないことになる。

 次に、人体に作用するエネルギーとして最大の作用力をもっているものは
何かというと、それは、地球上の生物すべての構造・機能・形態を支配している
「重力」(万有引力)ということになる。重力は運動エネルギーと位置エネルギー
として、目には見えない存在である。重力はある一定の方向性を有し、
その特質は「押すと引く」「作用・反作用」に限定され、鉛直方向に二つの
方向のエネルギーを有している。つまり、内在する二つのエネルギーをもつこと
になる(陰は上り、陽は下る)。どうも、この重力の重さの流れのエネルギーが
経脈と関連がありそうである。

 人体の構造・機能・形態に関与する大きな力、これが重力エネルギーである。
静止している物体には重心は一つであるが人間のように二足直立歩行する生物は、
静止している時は一方向であっても、歩行時は重力線(重心)は常に移動しなければ
ならない。これを解明するためには、人間の歩行動作を解析しなければならない。

 簡単に説明すると、歩行の際、足部は踵から接地し、第五趾に重力線移動
しながら大趾で重さに抗した推進力を上部に伝え、これを交互交替させながら
歩行する。この際、上肢は下からの推進力と反動から、下肢と逆の動きで上肢の
「振り子運動」が前後に生起される。つまり、重力の落ちるエネルギーとその
反作用のエネルギーを交互に利用しながら、動く(歩行)ことができるのである。
そして、歩行は、両足の右・左への重さの移しかえと上方向への反作用を上部
に伝え、手の前後の振り子運動で重力線上にうまくバランスを保たせながら、
安定した歩行を作り出しているのである。


 その際、後から見ると横方向へのある巾をもった搖動とねじれ、足(かかと
からつま先まで)の長さの分の巾の中で重力線(重心)を移動させながら歩行して
いるのである。この重力線移動の観点で、経脈の走行を考察してみると、
「陰は上り、陽は下る」とあるように、足部と体幹部においては、足の陰経を
上り、陽経は頭部から足部まで下りている。しかし、上肢部においては、手の
陰経(肺・心・心包)は腋下から上腕の内側を通り、手の指先に流れている。
「陰は上る」という走行とは逆になっており、前記の「陰は上り、陽は下る」
の原則からははずれている。東洋医学の研究家達はこの疑問に誰も答えを出して
いない。この説明に関しては、両手をバンザイした形にするとこれにあてはまる
としているが、これはどうみてもこじつけである。両手をバンザイした姿勢で
歩くことは、あまりにも不自然であり、他に理由があるものと、以前より
「ナゾ」の部分であった。歩行の反作用としての上肢の交互振り上げは、後方に
振り上げた反作用で自然に上肢は前方に振り下ろされる。これに手の陰経(肺・
心・心包)三経と陽経三経を組み込めば、見事に陰は上り、陽は下るの原理と
一致するのである。

 生きているということは、動いているということだと前述してあるが、動く
ということは、人間にとって「歩行」を意味し、歩行の際は、両手をバンザイ
して歩行するなど、あり得ないのである。足の陰経(肝・腎・脾経)はすべて、
足の大趾より起こっている。そして、下肢の内廉を上行して、腹部・胸部を経て、
上肢のつけ根に散じている。足の陽経はすべて頭部より起こり、下に下り、
足部の第二趾、三趾、四趾、五趾に終わっている。つまり、陰陽六経とも足に
始まり、足に終わっている。ここで、注目すべきことは、足の陰経がすべて
足の大趾に集中している点である。足の大趾は歩行の際重力に抗して推進力
として、力を上部に伝達する趾(ゆび)である。

 下肢の陰経の走行をながめると足の大趾に起こり、その三経は大変近接して、
体幹部まで走行している。そして、体幹部に入ると、正中線から外側に開く
ように、上肢のつけ根付近に散じている(手の陰経への接続のため)。これは、
前述した歩行の際の体幹部の横への搖動、つまり重力線の移動と関わりがある
のである。

 次に、わかりやすく説明するために陽経の膀胱経(背部を上から下に二本線
で走行)をながめてみよう。陽経は下る原則通り、頭部に起こり、頸部の天柱穴
より、二行線にわかれて背面を下り、大腿の後面を通る。そして、膝窩部の
委中穴まで二行線で下り、そこで接続して一行線になり足の小趾に終わっている。
これはまさに、歩行の際の後から見て上体の横への搖動、つまり重力線の移動と
関わりが必ずあるのです。つまり、人体の前面である陰経では、上にあがるに
つれて横に広がり、背面の陽谿では、逆に下に降りるにしたがって一本に集約
されるのです。

 次に、人体を側面よりながめてみると、ある巾を有している。つまり、足
(かかとからつま先)の長さ巾分の長さがあり、前面と側面と後面とに分類できる。
この巾分の重心が移動する。つまり、前面は胃経、側面は胆経、後面は前述の
膀胱経、つまり、足の踵からつま先までの巾の中で、重心が移動できるのである
(
詳細な重心移動は内部においてもっと複雑に搖動している)。すべて重力の通り
道として、下への落下のルートである。歩行時の足部の重心移動はかかとから
小趾側に移り、大趾に至り、大趾をけって推進力にしている。見事に重心の移動
と重力による作用・反作用が経絡の走行と一致しているのである。

 以上の考察から、歩行という重心移動の中で、重力の作用と反作用としての
下に落ちる力との反作用としての上部への推進力、それを利用しての上肢の
振り子運動の生起は経脈解明の大きな糸口となり得るのである。この仮説の中で、
経絡の循環順(肺→大腸…胆→肝)と歩行の左右交互移動にみられる重心方向の
移動と反作用を組み合わせてみると、みごとに経絡の走行と一致をみるのである。
ここにおいて、経絡解明の大きな鍵が見出されたわけであり、情報伝達系と
エネルギー系としての二つの面をもつ経絡の本体がおぼろげながら、見えてくる
のである。当然、仮説の域を出ない考察であるが、近い将来この観点に立った
研究により、経絡の本体が解明される日が近いことを期待している(別紙の図を
参考)
                一九八九年      有本政治