人体液晶説

 「見えないからだ」の領域に属している「気」の問題を、一般の人にわかり
やすく説明するのは大変難しいことです。私の「気」に対する見解はこれまで
述べたように、エネルギー・物質・情報の三態を合わせもった存在であろうと
考えています。これを一般の人にわかりやすく説明するには、どうしたら良いか
長い間考えてきました。何か身近なものに置き換えて説明できないものか、
身の回りの道具・機械はすべて「体の機能の一部を模倣したもので、その延長上
にある」という基本的な考え方にたって模索してきました。

 その中で気づいたのが「液晶」という存在でした。現代のものの多くにこの
「液晶」は使われています。代表的な物では、デジタル時計の表示、液晶画面
のテレビ、各種計器類の画面表示など、現代ではこの液晶は各種機械の中に
幅広く使用されています。今後はコンピューター画面もこの液晶化が進み、
モニター画面の小形化が推進されると予想されます。今後のコンピューター社会
にとっては不可欠な装置なのです。

 そもそも、液晶とは液体と結晶(固体)の中間にある物質であり、異方性液体、
液状結晶とよばれるものだそうです。液体と結晶の中間的物質といわれても、
専門外の私にとっては、詳しいことは良くわかりません。しかしこの領域の
ものに、何かを解き明かす「鍵」になるものがあるのではないかという、予感
めいたものを感じるのです。

私の勉強の基本ラインを築いてくれた人の中に、故千島喜久男博士がおられます。
千島氏が力説されていた未分化・中間領域の中に生命の秘密の扉を開ける「鍵」
が隠されているという説明は、その後の人体研究の基本線を示唆して頂いたと
思っています。千島氏の研究の中で、この中間領域の中からの発見で、重大な
ものの一つに「赤血球分化説」というものがあります。「赤血球分化説」とは
一言でいうと、「血一元論」という言葉に集約されると思います。

漢方医学では、この世のすべての森羅万象は、「気」の流動変化によって起こる
と根本的に考えています。「気が集まって血や形を成して、気が散ずれば、
即ち死を成す」という「気」の集合・離散によって、すべての事象を説明して
いるものです。例えれば水蒸気が集まって水という液体になり、固まれば氷と
いう固体になる現象です。時間・空間の条件により、変化流動していくという
概念です。


 それに対し、血一元論はこれも同じように時空の変化の中で、血液中の赤血球
が体の中で様々な物質に変化していくという説です。私たちの体のすべてを構成
している最小単位は細胞です。細胞とはその中に「核」をもっていなければ
なりません。しかし赤血球のみ核をもっていないのです。私たちの体の生理機能
の中心をなす、最も大切なものが血液です。そして血液は、怪我や病気を治す
ためには不可欠なものであり、「治癒エネルギー」の主要媒体です。
血がめぐらなくなれば、その組織は死を意味します。量的にも、質的にも正常な
血液が循環・配分されなければ、体の「治癒システム」は作動しません。
血は体の「治癒システム」の「要石」なのです。


 血液は、私たちの体の中に約四リットル位あり、その血液の中の九十九・八%
が赤血球で占められています。その赤血球だけが核をもたないのです。
他の組織液である、白血球・血小板・リンパ球はすべて「核」をもっています。
つまり細胞と呼べるものです。ところが一番大切な赤血球に「核」がないのです。
ここが、未分化・中間領域・限界領域のもつ重大な示唆になります。これから
「核」を得てすべての組織器官の基本単位となる細胞になっていく前途洋々たる、
いかようにも変化する存在、それが赤血球なのです。私たちの体は内外の環境の
変化に対応して、時々刻々と変化対応し、内部秩序をより良い状態に保つ
システムを所有していないと、生物として生存不可能です。

 例えば人工頭脳と呼ばれているコンピューターは、外界の温度湿度に対して
とても敏感です。故に人工的に空調を保たないと、すぐ故障の原因になって
しまいます。生命体はそのシステムを自己の内部に当然所有しています。
そしてそのためのエネルギー・情報を外界からも受容・伝達・処理・反応し、自己
の内部においてもエネルギー・情報を産出するシステムをもっていなければ、
千変万化・森羅万象する生物界に、生命体として存続できません。
これらを担当するのが、非物質的なエネルギー・情報であり、「見えないからだ」
のシステムと呼べるものも当然関与しています。冒頭で述べた「気」という領域
の問題です。

しかし、直接そのメカニズムの関与するのは物質であり、それが「赤血球」と
いう未分化・中間領域に属する物質なのです。故に条件次第で、赤血球が必要な
組織・器官に循環・配分され、赤血球はその環境に従ってどんな細胞にでも
なり得る潜在能力をもたせているのです。伸縮する繊維構造になっている筋肉
組織のところでは扁平化して結合組織になり、脂肪のような酸素供給の少ない
条件下では脂肪細胞になり、脳や神経や各種の内臓の組織に運ばれた赤血球は、
その細胞に接してその環境の物理的・化学的条件に適応して、それらの細胞に
分化し、その他、骨・爪・毛・卵子・精子等、生殖細胞もすべて赤血球から
分化していくのです。病的状態では、がん細胞を始めとする炎症のすべての
細胞など、これらも赤血球が分化したものだといえるのです。
この「血一元論」と呼べる赤血球分化説は、前述した生命体のもつ生存のための
システムから考えても、当然備えておかなければならないシステムでしょう。

 漢方医学の唱える「気一元論」、千島氏の発見した血一元論と呼べる
「赤血球分化説」これを統合したものが「気血」の循環・配分・質を問題とする
漢方医学であり、さらに日本人の到達した生命観・人体観に立脚した「骨」の
概念、これを含めた「気・血・骨」の生命観・人体観が、日本伝承医学の目指す
全面的認識の世界なのです。

 この「気・血・骨」の概念をわかりやすく説明する橋渡し役を果たしてくれる
のが「液晶」という物質がもつ性質です。その液晶のもつ性質はわずかな電圧の
変化に応じて、その配列を変えてくれるものです。その変化を応用したものが
デジタル画面の液晶表示であり、それはあたかも私たちの体に起こる現象そのもの
です。

例えば私たちが心理的変化において、瞬時に赤面したり、顔面蒼白になったり、
顔や目、表情が怒ったり、笑ったり、悲しんだり、同時に目つきが変わったり
する変化は、この液晶配列の変化と同じように説明できそうです。目つきや目
の色が変わったり、顔色・顔の表情が変わるのは心理的変化が主体であり、
それが脳のメカニズムと連動して瞬時に起こるものですが、その詳細はよく説明
できません。神経と筋肉の連動、血液が顔の表面に集まったり、無くなったり、
血管壁にあって即座に反応することで起こる現象であることは想像できます。
血液を循環・配分・質の変化で考察してみると、これらの現象は体のいたる
ところにみられます。

例えば男性の勃起現象など最も端的な例です。性的な興奮や刺激を受けると、
海綿体に血液が集まり勃起現象を生起させます。気が動くと血が動くのです。
あるいは急に驚いたり、怖い思いをしたりすると、膝がガクガク震えたり、
足に力が入らなくなったり、腰が抜けて立てなくなったりということを起こし
ます。これは、その組織に血液がめぐらなくなり、ストップされた状態が引き
起こされるからです。また、血液の質も瞬時に変化するといわれています。
感情の変化によって、血糖値や血沈が瞬時に変化してしまうのです。
不安や怒りは、血を固まらせるといわれています。

 漢方医学の唱える、血は「気」によってめぐっているという説が十分納得
できる現象です。漢方医学のいう「気」の通り道である「経絡」という存在も、
この液晶説を使えば大変わかりやすく説明可能です。体の内外に十二本張り
めぐらされている目に見えないネットワークに相当する経絡という「気」の
通り道に「穴」が開いたり、「遮蔽物(しゃへいぶつ)」が道をふさいだりする
ことが経絡の「虚・実」という概念です。

これは液晶のデジタル数字が示す0から九までの数字表示の一部に欠落部分が
できたり、余分なものがくっついて数字表示が読みとれなくなった状態と同じ
です。これでは、気をめぐらせることができないことを意味します。欠落部分
が「虚」であり、余分なものがくっついたのが「実」という状態です。欠落部分
は補修してやり、余分なものがくっついた場合はそれをとり去ってやれば数字は
読みとれ、情報を正確に伝えてくれます。これにより、気がめぐり血が循環・
配分されるのです。


 漢方医学では、その方法として鍼や灸を用いて虚の部分、つまり、欠落した
個所に「気」や「血」を集めて補充しています。「実」の個所に対しては鍼で
穴を開けて悪い「邪気」を抜いたり、瀉血(しゃけつ)という方法を用いて直接
悪い血を放出させたりしているのです。またこのように直接体に触れなくとも、
見えない体のシステムを作動させれば遠隔的にも操作は可能です。

例えば、今流行の携帯電話やポケベルは、電波を発信することで相手方の携帯
電話やポケベルについている液晶画面に、文字として着信を知らせたり、当然
会話できたりするのです。目に見えない電波や磁波はエネルギーであり、情報
であり、その情報によって液晶という物質を変化させています。

昨今、高圧線やテレビ、パソコン等、電化製品から出る電磁波が、私たちの
体に有害なものをもたらしているという指摘が各方面から取りざたされるように
なりました。これは何を意味するかと考えると、外界からの電磁波は当然私たち
の体表にある皮膚に働きかけます。皮膚には触覚以外に感覚器のすべての機能
が備わっているといわれています。見ること、聞くこと、嗅ぐこと、味わうこと、
これらのすべてを感じることができるのです。また第六感といわれるものも、
皮膚を含むその外界に張りめぐらされているといわれています。

有害な電磁波は、まず私たちの皮膚を介して様々な生理失調を生起させていき
ます。この姿は、私たちの体の表面を液晶画面に例えると、液晶配列に乱れを
引き起こされ情報が読みとれない状態と同じように考えられます。こうなると、
私たちの体の界面であり外界に通じる膜がその機能を消失することになるのです。

(皮膚)は前述したような機能の他に、エネルギー造成のための太陽電池的な
役割も担っています。また体内の余分な「熱」を発汗により放出し、恒常体温
の維持という、生命にとってとても大切な役割も受けもっています。
有害電磁波は、生命維持に欠くことのできないこの皮膚のもつ多様な働きを衰退
させることになるのです。これが時間の経過の中で、徐々に生理失調を引き
起こす誘因として働くのです。

人体の皮膚はまさに液晶と同じような存在であり、わずかな外界の刺激に対して
も敏感に反応します。皮膚は人体内部の内管系とも連結された一枚の膜であり、
免疫系の中心を成すものです。この膜が液晶と同じ機能をもつことで、瞬時に
その配列を変換して情報を伝え、千変万化する内外の変化に対応しているのです。
液晶のもつわずかな電圧の変化で、瞬時に変化・対応する機構を人体は当然備え
ているものと演繹(えんえき)できるのです。故に、膜(皮膚)のこの機能に狂いが
生じることは生命体にとっては重大な問題を意味することになるのです。

 液晶が電圧の変化という電気的エネルギーに敏感に反応するということは、
直接的な作用でなくとも電磁波によって影響を受けるはずです。このことは冒頭
で例に挙げた心理変化、つまり意識・意志によって血液の循環・配分に異常が
生じる例と考え合わせていくと、まさに人体は液晶機能のようにその配列を瞬時
に変えるような存在と考えることはできないでしょうか。液晶という、液体とも
結晶(固体)ともつかない、未分化・中間領域・限界領域の物質のもつ特性は、
未だ未知の部分を多く残す生命・人体の解明に重大なヒントを与えてくれる
ものです。

 未だ、未知の部分の多い生命・人体は、意識・意志といったある種のエネルギー
に対しても充分に反応し、それはまるで液晶が微弱な電圧の変化の中で配列を
変えるように、情報として読みとり、見えない体のシステムを作動させるのでは
ないかと考えられます。生命・人体を機能させている、エネルギー・情報・物質
の三態は、時間・空間の変化の中で相互交換する存在であるなら、漢方医学の
「気」の概念、千島氏の「血」の概念、日本人の解読した「骨」の概念が有機的
なつながりをもって、実に統一的に把握できるものなのです。「液晶」という
物質はそのことを理解する上で格好な情報を私たちに与えてくれています。
この「液晶」も生命・人体のもつ機能の延長上に登場したものであり、それを
通して逆に生命・人体の謎が一つずつ解けていくことを期待します。

 私の師、野口三千三先生の御言葉の中の「御手本は自然界、重さに貞()く、
身体に貞()く、物に貞()く」の教えに感謝致します。

                一九八四年      有本政治