ゆり・ふり・たたき理論 2018.9.19. 有本政治

 *これは今から約30年前の文章に加筆したものになります 

 古代日本人は、生命力を高めるためや精神を高揚させる方法として「魂振り」
(
たまふり=身体を振動させる)という行法を行なってきました。「魂振り」という
言葉や方法は神道の中に見られますが、「神道」と同様に現在では、その存
在が希薄になっています。ただその伝統は生活の一部となって現在でも受け
継がれています。

 特にその中の「魂振り」は、日本の各地で行なわれている伝統行事の祭りの
中に見られます。みこし等をかつぎ、自分の足で地面を踏み鳴らす「踊(おど)
や、体をねじったり回転したりという輪になって行なう「舞(まい)」がその方法
の一例です。古代人は自分の体を大地を踏みならし振動させ、舞い動かすこ
とで、より効率的に人体内のエネルギー(肉体的エネルギー、精神的エネル
ギー)を高めることができたり、その応用が病を予防することができることを直
感的に知っていたのです。その直観力の根底にあるものは何かと考えれば、
母親の体内から産み落とされた時にまで時間がさかのぼります。

 赤ん坊は、母体から外へ出た瞬間から肺で呼吸をしますが、その最初の呼
吸というのが体を震わせて大声で泣くことです。このことが自分で行なう最初
の「魂振り」なのです。昔から大声で泣いた赤ん坊は、丈夫に育つと言われて
いますが、「呼吸」の重要性と「魂振り」とを考え合わせれば、容易に理解でき
ます。そして、何の知識の無いと思われる赤ん坊のうごめきの動きこそ、本来
の「魂振り」といえるのです。

 他動的に行なわれる「魂振り」は、赤ん坊を抱き上げた時の子守り(こもり)
思いうかべればわかりやすいと思います。赤ん坊をあやす時も、眠らせる時も、
起こす時も、泣きやませる時も、人は知らず知らずのうちに「魂振り=ゆすった
り、ふったり、たたいたり」の動きをしています。これは、赤ん坊だけではなく、
大人の場合でも、気を失っている人を気付かせる時やぐったりしている人を元
気づける時、自分の気もちをわかってほしい時など、その場に応じて方法は微
妙に異なりますが、無意識にやっています。この「魂振り」の動きを「やまとこと
ば」で表現すると「ゆり・ふり・たたき」となります。

 「ゆり」とは、物全体が根底から動揺、振動するという意味で、特に物の真中
を、体でいえば体幹部を手で把持して揺り動かすということを言います。

「ゆり」の「ゆ」は、ゆっくり、ゆったりの「ゆ」であり、速さは「ふり・たたき」よりも
遅く、「ふり」よりもエネルギーは大きい感じです。「ゆり」を体幹部に起こさせる
ためには、どうしても体の主体を液体(体液)ととらえなければできません。
液体ととらえた上で体を揺り動かし、固まった所をほぐし、ゆるめ、又、内臓を
はじめとする内容物を、収まりの良い定位置に安定させるのです。

 「ゆり」とは、「淘」や「汰」という漢字をあてて水中や箕()などで物を揺さぶ
って選別するという意味もあります。この二つの漢字を合わせると、「淘汰」(
うた)という言葉になり、不要、不適当なものを排除して必要、適切なものを選
び出すという意味になります。このことを考え合わせると、より明確に「ゆり」の
作用が理解できると思います。例えばケーキ作りの時、粉を「ふるい」にかけ
る作業を思い浮かべればよいでしょう。

 こう考えてみると、「貧乏ゆすり」という言葉も興味深い解釈ができます。それ
は、人間の無意識動作の一つではありますが、知らないうちに体を揺り動か
すことで、精神的にも肉体的にもエネルギーを高める自然な動きになります。
また、冬期の冷えた身体の時に起こる排尿後の体の震えは誰もが経験したこ
とがあると思いますが、これは尿を体外へ排出したことにより失われた熱エネ
ルギーをとり戻すために、身体をブルブルと震わせるのです。一つの無意識の
体熱回復動作になります。

「ゆり」が体にあてはめれば体幹部を揺り動かすということに対して「ふり」は
末端部、体でいえば手足などの一端をもって振り動かすという意味になります。
「ふり」という概念も体を液体が主体であるととらえれば容易に理解できます。

 現在では、単に物理的な振動を「振り」ととらえていますが、古代には「万物
は生命をもち、その発現として動く」という信仰があったので、もの自体が生命
力を発揮させようと生き生きと小刻みに動くという意味がありました。

ものを揺り動かして活力を呼び起こす、エネルギーを高めるということを実際
に行なってきました。「神道」のいう「八百万(やおよろず)の神」という言葉の通
り、大地の生命が発動し農作物を育て、地が震え動けば地震となり、空が振る
え動けば雨となり、空気が振るえ動けば風となり、水が振るえ動けば波となり
というように、自然現象にも日本人は「魂振り」を見ていたのです。

 人間の精神面を考えてみても、極度の怒りや悲しみ、苦しみ、また喜びなど、
内部に力が満ちあふれれば、体がぶるぶると震えたり、手足や唇や声にも振
るえが起こってきます。こうした自らの「ふるえ」は、自分の内なる生命力の発
動であり、また感情のコントロールでもあります。

 「たたき」とは、「ゆり・ふり」と同様に液体的なテクニックでありますが、また
気体的なテクニックでもあります。具体的にいうと、軽く手でこぶしを作り連続
して叩く場合は、人体の「液体的な部分」へのアプローチであり、掌を開いて
一発叩く場合は、人体の「気体的な部分」への働きかけなのです。

 「たたき」は「ゆり」や「ふり」以上に強弱の加減や、速い・遅いの速度のコン
トロールで色々な作用を及ぼすことができます。それは、「ゆり・ふり」と異なり、
時間的には大変短く、大きな音、大きな振動も伴うエネルギーの大きさがある
為、覚醒的な作用を期待しても用います。

大相撲などを見ていると、取り組みの前に顔や体を「パチ、パチ」と見ている
方が痛いくらいの勢いで叩いている姿をよく見かけますが、このようなことをし
て気もちを引き締め、集中するということだけでなく、体の闘うための細胞すべ
ての力を呼び覚ましているのでしょう。これは、体の気体的な部分への働きか
けのわかりやすい例の一つで、「たたき」という刺激のエネルギーの大きさが
わかると思います。我々も日常生活の中で「手をたたく」ということをして自分
自身を活気付けたり、他の人の応援をしたりと、精神を高揚させる動作に「た
たき」を無意識に行なっています。

 からだ言葉の「胸を叩く」、「膝を叩く(打つ)」、「尻を叩く」などは、「叩く」こと
で気もちを高める動作であり、このような作用があると理解できます。

また「肩叩き」や「腰を叩く」などは、体の疲労をとり、楽になるための動作とい
えます。このような「たたき」によって体の活性化、気もちを高める作用がある
ことはわかったかと思います。もう一つの方法は、前述した「たたき」よりも、
もっとやさしくゆっくり叩けば、体をゆるめたり、気もちを落ち着けたりというこ
とが可能になるということです。子守の時の赤ん坊を眠らせるやさしい「たたき」
になります。

 「ゆり・ふり・たたき」は、ものを振動させ、動きを次々に伝える波動エネルギー
であり、肉体的、精神的に内部の生命力を呼び起こすもので、どれも自然の
原理に合った自然発生的な無理のない行動です。物理学の世界では、すべ
ての物質はそれぞれ固有の振動数(振動波)をもっているといわれていますが、
人間もこの例外ではなく、内臓諸器官までそれぞれがある幅を有する固有の
振動数をもっています。その振動数から外れた時に痛みが起こり、シビレや
マヒといった機能障害や器質的変化といった病気にまで進んでいきます。それ
をどの段階であろうと阻止し、その人の固有の振動数に戻すための最善の方
法が外部から振動を加える「ゆり・ふり・たたき」であるといえます。そして、二つ
の振動(ヒビキ)が重合することで新たなイブキ(ヒビキ)が生まれるのです。

「ゆり・ふり・たたき」という操法は肉体的な各部分に変化を生起させるだけ
ではなく、精神面にも「情報」として大きく作用させることが可能になります。
この魂振りに相当する「ゆり・ふり・たたき」という古代の信仰とも関わりの深い
概念と操法は、人体の液体的部分にも、固体的部分にも、そして特に気体的
要素にも、応用できる「波動操法」なのです。このように日本の古代人は“魂ふ
り=ゆり・ふり・たたき”を病気治しの方法として活用していたのです。