経絡の本体

補足追記 2017127日 有本政治

 

 私が初めて鍼灸の世界に足を踏み入れたのは、大学卒業後、東京渋谷に
ある花田学園日本鍼灸理療学校に入学してからになります。当年24歳の時
です。

当時のクラスメイト(伊藤修氏)の紹介で、古典鍼灸経絡治療界の大家故小野
文恵(ぶんけい)先生に弟子入りをさせて頂きました。そして故小野文恵先生の
元で、東洋的な物の見方、考え方を徹底して教えて頂き、その後の有機的全体
思考の基礎を固めて頂きました。

当時は鍼灸学校での現代医学的な科目には目もくれず、教条主義的に、東
洋医学的な物の見方、考え方を固めるべく、鍼灸のバイブルと称される古典
(素問、霊枢、難経等)を読みあさりました。当時は私のような学生はほとん
ど存在せず、周囲からは奇異の目で見られておりました。鍼灸師でありなが
ら、古典を読む人はいなかったのです

 東洋医学とは名ばかりで、東洋医学の専門学校でありながら、東洋医学の
勉強はほんのわずかで、大半が西洋医学の科目でした。西洋医学の診断に
基づいて鍼灸を使うという「木に竹を接ぐ」ような現状が、日本の東洋医学の
専門学校の実状です。このような教育の中からは、真の鍼灸師は決し
て生まれません。外国人が、日本に鍼灸を学びに来て、その現状に
がっかりするのも無理もありません。
 私は真っ向から反骨精神をもって真の東洋医学修得に取り組みました。
そのおかげで、ゆるぎない東洋的な物の見方、考え方を身につけることができ、
その後の日本伝承医学の解明に大きく貢献できました。この東洋医学的発想
と有機的全体思考の考え方がなければ日本伝承医学の解明には至らなかった
と思います。

 現在の日本伝承医学の治療形態の中には、直接的にツボ(経穴)や経絡(
通のツボを結んだ線)を使用することはありません。ただし、日本伝承医学の
解明にあたり、東洋医学の経絡相関(後に詳述)は多いに参考になりました。
 例えば、経絡相関の子午流注(シゴルチュウ)の十二支の時間的陰陽関係や
十干の関係(肺⇔膀胱、心⇔膀胱等の関係)は、心臓調整法の解明や坐骨神
経痛や手と足のバランス操法の理論的根拠となっています。中国の古代人が
発見開発した、経穴(ツボ)と経絡(共通のツボを結んだ線上のルート)は世界
の医学史上、偉大な発見です。

この経穴と経絡は東洋医学の「気」の昇降出入の点と線であり、東洋医学独
自の理論を展開しています。人体中に約365のツボが存在し、12本の経絡が
人体を上下にルートして、一本の線として存在しています。

一般の方のために「経絡」を簡単に説明しておきます。東洋医学は内臓を
すべて生理機能の中心と考えています。その六臓六腑の内臓の反応が体表
の皮膚や筋肉にあらわれたのがツボ(経穴)であります。例えば、現代医学に
おいても盲腸炎の時はマックバーネー点といって、腹部の体表に反応があら
われます。この反応点は、当該部位だけでなく全身に反応点があらわれます。
それを古代中国人は長い時間をかけて、365()発見し、その共通線を12
(経絡)発見したのです。
 このシステムは、飛行機や車のインジケーターと同様な装置にな
ります。内部の状態をいちいち分解しなくとも、表から認知できる
ように計器として備えています。このようなシステムを生命体はも
っと精妙に備えているのです。故に確実に存在するのです。
例えば
大腸なら大腸の反応がある線上にあらわれるのです。そのラインを「大腸経」
と名付けたのです。六臓六腑すべて内臓名を付して発見命名しました。

胃の悪い人は身体の大腿部の前面から下腿部の前面の点やライン上に、
筋肉の痛みや重さ、だるさ、筋肉のはり等があらわれます。皮膚や筋肉は、内
臓の働きを映す鏡のような存在となるのです。胆のうに弱りがある場合は、身
体の側面のライン脇腹から、大腿部・下腿部の側面のラインの皮膚や筋肉に
痛み、ひきつり、固さ等があらわれます。これが「経絡」といわれる共通の内臓
のツボをつないだ“線上”の反応ルートになります。この12本の経絡が、人体
を上下に上ったり下ったりして一本の線としてつながっています。その中の経
絡の流注(流れ)には法則があって、「陰の気は上り、陽の気は下る」という基
本概念が構築されています。

前述のように、人体中には12本の経絡が設定されており、それが陰の性質
をもつ6(肝・心・脾・肺・腎・心包)と陽の性質をもつ6(胆・小腸・胃・大腸・
膀胱・三焦)に分類されています。そして、陰経6本は、人体の下から上に上り、
陽経6本は上から下に下りるという基本法則に従っています。下肢の方に陰
(肝・腎・脾)3本と、上肢に陰経(肺・心・心包)が配当されています。

しかし、実際の人体に示されている陰経と陽経の流れの図は、この陰陽の
基本概念とはずれているのです。それは上肢の経絡の中に見られます。手の
陰経(腕〜手)に配当されている3本の経絡となる肺経、心経、心包経は陰の
性質なのに、肩から手の先へと下に下っているのです。逆に陽の経の3(
腸経、小腸経、三焦経)は、手の先から肩へと上っているのです。完全に陰陽
経、走行の法則からは、はずれているのです。この矛盾に気づく人は少なく、
何故なのかを誰も説明できませんでした。鍼灸の歴史は三千〜四千年間とい
われていますが、この矛盾と謎を解明した人は未だ存在しなかったのです。
この矛盾を鍼灸学校の時に著名な東洋医学の大家に質問しましたが、まった
く答えられませんでした。また、足の陰経となる3(肝経、腎経、脾経)が何故
足の大趾から起こり、上に上がっていくのか、足の陽経(胃経、胆経、膀胱経)
が大腿部の前面、側面、後面をめぐっているのか、人体の背中を上から下に
流れる膀胱経は一本の流れから、背中で2本に枝わかれして、何故また一本
に合流するのかといった謎が、何千年たっても世界中誰一人解明できなかっ
たのです。

 この矛盾と謎を解き明かしたのが、約30年前に書いた拙著の『経絡の本体』
になります。歩行による重力の作用、反作用と重心の横搖動と前後の移動が
見事に「陰は上り、陽は下る」」の法則と、経絡の走行と一致するのです。この
『経絡の本体』が今後の鍼灸医学の経絡流注の解明の一助になるものと確
信しております。鍼灸関係の人には是非一読をおすすめします。

 

 

 

経絡の本体

(この文章は30年前に書いたものになります)

 

 中国では、二千年も前から鍼灸を治療法として実行している。ところが、昔か
ら今までに出版された鍼灸の本は山ほどあるにもかかわらず、なぜ鍼灸は効
くのか、納得のいくような説明はたいてい十分にされていない。実際、臨床的
事実として、現象としてあらわれてもその治効理論については、十分にわかっ
ていないというべきであろう。

 中国の鍼灸のバイブル的古典医書である「素門」「霊柩」では、その治効の
本体である「経絡」(共通のツボとツボを線上に結んだ内臓の反応線)について、
要約すると次のように説明されている。

『人間の体には、左右十二対の経絡というルートがあり、その内外を「気血営
衛」といって、人間の活動のもととなるエネルギーが流れており、一昼夜で五十
周する。そして、それはネックレスのように、一連のつながりであり、この循環が
滞りなく行なわれていれば、人は健康であるが、この気血営衛が一個所でも
滞ったり、あり余ったり、不足したりすると、そこに痛みや病気が起こる。この
ような時に鍼・灸を適切なツボに行なうと、気血の過不足を調節し、エネルギー
の流動が滑らかになるので、痛みや病気が治る』

 経絡というものが本当に存在するのか、現代の医学は疑わしいと考えている。
解剖学的にも神経学的にも生理学的にも、目に見えない経絡などというもの
は存在しないというのが大方の見解である。しかし、それは固定概念に捉われ
た大変な誤解である。物質、物体として目に見えるものだけ、つまり有線であ
ることだけが人体の伝達制御系・エネルギー流通系でなくてはならない理由は
どこにもない。事実、有線系である神経・血管・リンパ系だけでは、人体の運動・
生理は制御できない。もっと高速度な伝達系が必要だと言われている。例えば、
テレビのリモコン装置は有線でなくてもいくらでも、テレビのON‐OFF、音量調
節、四十チャンネル(同調変換)、画質まで機能調整させる。故に、目に見えな
い存在(無線)であっても人体の情報伝達系、エネルギー系に関与し生命維持
に欠くことのできないエネルギーや信号のルートとして実在できるはずである。

 東大医学部心療内科の石川中氏は次のように述べている。

『生体には二つの系がある。一つはエネルギー系で、他の一つは情報系であ
る。エネルギー系は体の本来の活動に関与する系である。筋肉の運動、血液・
リンパの循環、消化、呼吸、再生、排泄等の機能をなす系(漢方医学の木・火・
土・金・水の五行の性質に該当)で、生体のエネルギーの大部分はこの系で
作り出され、消費されている。一方、このエネルギー系を制御・統制する系が
情報系である。エネルギー系の活動状況を刻々と知り、これを適正な許容範
囲に置き、最も効率良くこれを運用せしめるのに必要な系である。これに必要
なエネルギーは前者に比べ、かなり少ない。自律神経系、脳脊髄神経系、内
分泌系等はこれに属する。』この観点に立って、「経絡」を考察すると、どうも
経絡は生命の維持・活動の何らかのエネルギーや情報のルートであろうとい
う仮説ができあがる。

 人間が生きているということは、動いているということと同一である。動くとい
うことは、何らかのエネルギーが必ず必要である。それも、死の瞬間まで絶え
ることのない「永久機関」としてのエネルギーが必要である。そのエネルギーは
どこでどうやって作り(内部)、どこからどうしてとり入れるのか(外部)。そして、
エネルギーを作り、とり入れるだけでなく、再生(リサイクル)し、必ず外部に排
出しなければならない。こう考えると、経絡は人体のエネルギーの体内造成の
輸送ルート、造成されたエネルギーは体内で燃焼され、その熱を体外に放出
しなければならない。そのための体内の「熱」の放出ルート、もう一つ、体外か
らのエネルギーをとり入れ、それを体内に運ぶ輸送ルート。つまり「出入」の
ルートとしての作用が浮上せざるを得ない。鍼灸の古典の記載に見える、経絡
経穴の説明は、「神気の遊行出入するところなり」、あるいは、気は「昇降出入」
がその作用である、と述べてある。これと見事に一致しているわけである。

 つまり、体内の二つの系である、情報伝達系とエネルギー系の二つに作用し、
情報系への伝達ルート、エネルギー系への出入ルートとして、経絡をとらえる
必要がありそうである。そのためには、人体中を縦方向と、横方向に結ぶ無線
系のネットワークが必要となるのである。「経絡」とは、経脈と絡脈のことであり、
経脈とは人体の縦方向、上下に走行するルートであり、絡脈は横方向に連絡
するルートであり、故にネットワークとしての役目ということになるのである。

 情報伝達系としての経絡は、巷(ちまた)の無線系の伝達系統の受容・伝達・
処理・反応と同一にとらえればよい。それは、シグナル形式の伝達であり、波
動性を主体とした色であり、形であり、音であり、光であり、電磁波である。また、
人間の意思(ある方向性をもったエネルギーといえる)にも、受容・伝達・処理・
反応する。経絡は極めて多彩で、微細なシグナルにも反応する伝達系なので
ある。

 このように、伝達系としての経絡をとらえると、これまでの未解決な問題が
みごとに統一的に見えてくる。例えば鍼、灸、冷却、各種手技療法、水晶や石
を使う療法、霊的治療、宗教的現象、Oリングテスト、音楽療法、光線療法、
ホメオパシー等にみられる現象も、ある波動性をもったシグナル(意思、電磁
波等)であり、それは実に微細であってもそれを受容、伝達、処理、反応できる
伝達システムであるとすると、これらを解決する「鍵」となりそうである。

 次に、エネルギー系としての経絡であるが、これは経脈を主体としたもので
ある。体内でエネルギーを造成し、また外界のエネルギーを皮膚を通して内部
に蓄電し、しかも、燃焼したエネルギー、つまり「熱」を体外に放出・排出しなく
てはならないわけであり、内部と体表を結ぶルートの確保は必然となる。
そして、縦長な構造物として存在する人体にあっては、それを上下に交通する
エネルギーの通り道を設定しなければならない。この観点で経脈をながめて
みると、すべての経脈は内臓と体表との間にルートが存在し、人体の縦方向
に上下する陰経(下から上)、陽経(上から下)の経脈がみごとに設定してある
のである。ここで考察しなければならないことは、エネルギーの通り道としての
系ならば、人体に作用するエネルギーは何かという問題である。

 人体内は、ある温度を維持しないと生命は維持できないことになっている。
これは、生体内において、熱エネルギーを必要としているということであり、
これをなんらかの方法により作り出さなくてはならない。それを作り出す器官
は内臓諸器官である。そして、体温が四十二度以上に上がると、タンパク変
性を生起し、生命維持できなくなる。その熱を放出
る方法は呼気と汗と大・
小便ということになる。それをつかさどる器官は肺と皮膚、腸と腎臓となる。
故に人体は肺と腎を二つずつ備えているのであり、また、皮膚と腸の重要性
も、うかがえるのである。そして、直接的に内臓と体表とを結ぶ熱の放出ルート
とエネルギーの搬入ルート、それが経絡(特に経脈)ということになる。故に経
絡はすべて内臓と連絡されているのである。これで、内部と体表とを結ぶ経絡
の作用は解決がつきそうであるが、経脈の走行は人体を縦方向に上下に走
行して、頭部と足を結んでいる。これは、どう解決したらいいのか。上下方向に
流れるエネルギーは何なのかを解明しなければならないことになる。

 次に、人体に作用するエネルギーとして最大の作用力をもっているものは
何かというと、それは、地球上の生物すべての構造・機能・形態を支配してい
る「重力」(万有引力)ということになる。重力は運動エネルギーと位置エネル
ギーとして、目には見えない存在である。重力はある一定の方向性を有し、
その特質は「押すと引く」「作用・反作用」に限定され、鉛直方向に二つの方向
のエネルギーを有している。つまり、内在する二つのエネルギーをもつことに
なる(陰は上り、陽は下る)。どうも、この重力の重さの流れのエネルギーが経脈
と関連がありそうである。

 人体の構造・機能・形態に関与する大きな力、これが重力エネルギーである。
静止している物体には重心は一つであるが人間のように二足直立歩行する
生物は、静止している時は一方向であっても、歩行時は重力線(重心)は常に
移動しなければならない。これを解明するためには、人間の歩行動作を解析
しなければならない。

 簡単に説明すると、歩行の際、足部は踵から接地し、第五趾に重力線移動
しながら大趾で重さに抗した推進力を上部に伝え、これを交互交替させながら
歩行する。この際、上肢は下からの推進力と反動から、下肢と逆の動きで上肢
の「振り子運動」が前後に生起される。つまり、重力の落ちるエネルギーとその
反作用のエネルギーを交互に利用しながら、動く(歩行)ことができるのである。
そして、歩行は、両足の右・左への重さの移しかえと上方向への反作用を上部
に伝え、手の前後の振り子運動で重力線上にうまくバランスを保たせながら、
安定した歩行を作り出しているのである。

 その際、後から見ると横方向へのある巾をもった搖動とねじれがあり、また
前後方向足(かかとからつま先まで)の長さの分の巾の中で重力線(重心)
移動させながら歩行しているのである。この重力線移動の観点で、経脈の走
行を考察してみると、「陰は上り、陽は下る」とあるように、足部と体幹部におい
ては、足の陰経は上り、陽経は頭部から足部まで下りている。しかし、上肢部
においては、手の陰経(肺・心・心包)は腋下から上腕の内側を通り、手の指先
に流れている。「陰は上る」という走行とは逆になっており、前記の「陰は上り、
陽は下る」の原則からははずれている。東洋医学の研究家達はこの疑問に誰
も答えを出していない。この説明に関しては、両手をバンザイした形にすると
これにあてはまるとしているが、これはどうみてもこじつけである。両手をバン
ザイした姿勢で歩くことは、あまりにも不自然であり、他に理由があるものと、
以前より「ナゾ」の部分であった。
歩行による左右への重心移動で生じる「作
用と反作用」は下肢から上体を経て上肢に伝わります。これは、自然の歩行
形態を見てみると、一目瞭然となる。肩の力を抜いて前方に歩けば、つま先
のけり出しに反応して同側の上肢(肩から手先)は、前方に振り上げるまったく
自然の運動形態となる。逆に両手を振り上げないで歩いてみると、その不自
然さはよくわかる。つまり、歩行とは下肢を右左と重心を交互に移し変えなが
ら、それが上体に伝わり、その作用反作用に反応して両手が「振り子」のよう
に前方に振り上げられ、振り下げられして、重心を安定させながら達成されて
いるのである。
これを手の陰経(肺・心・心包経)と陽経(大腸・小腸・
三焦経)の走行にあてはめてみると「陰は上り、陽は下る」の経絡
の走行と一致するのである。下肢のつま先のけり出しに連動して、
同側の上肢が前方に振り上げられるということは、作用力線は、手
先の方向に上って行き、振り下ろされる時は、手先から下がってく
る。手が前方に振り上げられる時に、手の陰経は手先の方に上って
いき、振り下げられた時に陽経は手先から下に下がってくる。この
歩行による自然な手の振り上げと振り下げを解明することで、手の
経絡の走行の謎が解けるのである。
つまり陰経は上り、陽経は下ること
になる。見事に「陰は上り、陽は下る」の原理と一致するのである。

 生きているということは、動いているということだと前述してあるが、動くという
ことは、人間にとって「歩行」を意味し、歩行による上肢の振り子運動の作用
力線が手の経絡の走行を決めていたのである。歩行の際は、両手をバンザイ
して歩行するなど、あり得ないのである。次に足の陰経(肝・腎・脾経)はすべて、
足の大趾より起こっている。そして、下肢の内廉を上行して、腹部・胸部を経て、
上肢のつけ根に散じている。足の陽経はすべて頭部より起こり、下に下り、足
部の第二趾、三趾、四趾、五趾に終わっている。つまり、陰陽六経とも足に始
まり、足に終わっている。ここで、注目すべきことは、足の陰経がすべて足の
大趾に集中している点である。足の大趾は歩行の際重力に抗して推進力とし
て、力を上部に伝達する趾(ゆび)である。

 下肢の陰経の走行をながめると足の大趾に起こり、その三経は大変近接し
て、体幹部まで走行している。そして、体幹部に入ると、正中線から外側に開
くように、上肢のつけ根付近に散じている(手の陰経への接続のため)。これは、
前述した歩行の際の体幹部の横への搖動、つまり重力線の移動と関わり、
上肢の交互振り上げにつながるのである。

 次に、重心の横への搖動をわかりやすく説明するために陽経の膀胱経(
部を上から下に二本線で走行)をながめてみよう。陽経は下る原則通り、頭部
に起こり、頸部の天柱穴より、二行線にわかれて背面を下り、大腿の後面を
通る。そして、膝窩部の委中穴まで二行線で下り、そこで接続して一行線にな
り足の小趾に終わっている。これはまさに、歩行の際の後から見て上体の横
への搖動、つまり重力線の移動と関わりが必ずあるのです。つまり、人体の
前面である陰経では、上にあがるにつれて横に広がり、逆に頭から下に下が
る陽経の中の膀胱経は、首から重力線の横への搖動分、揺れ幅が生じ2
の走行にわかれ、また、膝裏付近で一つにまとまるのである。

 次に、人体を側面よりながめてみると、ある巾を有している。つまり、足(かかと
からつま先)の長さ巾分の長さがあり、前面と側面と後面とに分類できる。
この縦巾分の重心が移動する。つまり、前面は胃経、側面は胆経、後面は前
述の膀胱経、つまり、足の踵からつま先までの巾の中で、前後方向に重心が
移動できるのである(詳細な重心移動は内部においてもっと複雑に搖動している)

すべて重力の通り道として、下への落下のルートである。歩行時の足部の重心
移動はかかとから小趾側に移り、大趾に至り、大趾をけって推進力にしている。
見事に重心の移動と重力による作用・反作用と重心の横への搖動巾と縦への
移動巾・経絡の走行と見事に一致しているのである。

 以上の考察から、歩行という重心移動の中で、重力の作用と反作用としての
下に落ちる力とその反作用としての上部への推進力と歩行における重心の横
方向への移動巾と前後方向への移動巾が加わり、それを利用しての上肢の
振り子運動の生起は経脈走行解明の大きな糸口となり得るのである。この仮
説の中で、経絡の循環順(肺→大腸…胆→肝)と歩行の左右交互移動にみら
れる重心方向の移動と反作用、歩行時の重心の横への移動と足巾分の前後
への移動を組み合わせてみると、みごとに経絡の走行と一致をみるのである。
ここにおいて、経絡解明の大きな鍵が見出されたわけであり、重力のもつ作用
と反作用により起こるエネルギー発生と伝達系と縦長な構造物としての重心
安定の情報制御を必要とするシステムをもたなくては生存不能であり、情報伝
達系とエネルギー系としての二つの面をもつ経絡の本体がおぼろげながら、
見えてくるのである。当然、仮説の域を出ない考察であるが、近い将来この観
点に立った研究により、経絡の本体が解明される日が近いことを期待している。

 

                           1989年  有本政治