「骨」に神(カミ)を見た日本人 2017.8.21. 有本政治

 これは今から約30年前に書いたものになります

 日本人ほど骨を大切にする民族は、世界の中でもいないのではないでしょ
うか。太平洋戦争での戦死者の遺骨を戦後何十年経っても、南方の島々へ
収集に行った光景は今でも思い出されます。肉親の遺骨を探し、硫黄島・ガ
ダルカナル・ニューギニア・ボルネオ等、かつての戦場に遺族の方が訪れた
ものです。この光景から日本人の骨への思いは特別なものがあるということ
がうかがえます。そしてその骨を持ち帰り、先祖代々のお墓に手厚く葬ります。
またその分骨を自宅の仏壇にも大切に保存し、その霊を供養するのです。

 日本人と対称的なのが欧米人です。欧米人は戦争で遺体が損傷していれば、
それを修復し、死化粧して、生きていた時そのままの面影を蘇らせるのです。
骨というより遺体そのものを重視しているのです。その考えを重視したのが棺
です。欧米では棺も立派なものが多いのです。高級家具と同等の物を用います。
遺体を入れる棺にお金をかけるのです。ところが、日本人は遺骨を埋葬する
お墓にお金をかけます。ここにも骨に対する日本人の執着がうかがえます。

 幼少の頃父母とお墓参りに行き、ここには先祖の霊がまつられているとい
う話を聞き、お墓の中には一体何があるのだろうと、大変興味を抱いたことが
鮮明に思い出されます。そしてそれを父に尋ねてみたら、骨が入っているの
だと聞かされ、骨に対する畏敬の念が芽生えたのもその頃からだったのでは
ないかと思われます。骨には我々日本人が先祖代々受け継いだ、見えない
何かの「心の糸」の様なものが感じられるのです。

 日本人は「骨」に何を感じ、何を見出していたのでしょう。日本人の「骨」への
思いは古代からあったのでしょうか。まず埋葬の歴史を観てみましょう。縄文
時代にはカメ棺に遺体を納め、その遺体が「骨」になったらその「骨」を集めて
壺等に納めた痕跡が認められています。遺体を納めたらそれっきりというの
ではなく、「骨」になった段階で新たに埋葬し直す、これを複葬というそうです。
ほったらかしにしないということは、日本の古代人が既にその頃より「骨」に
何かを見出していたと言えそうです。世界的に観ても古代シャーマニズムが
ドクロ崇拝をもち、彼等の儀式にドクロが飾られている光景はよく目に
する
ところです。しかし、この風習は日本の手足や胴体の「骨」を含めた、全体の
「骨」に対する思想とは少し観点が違う様に思われます。

 仏教発祥の地インドでは、遺体は火葬にしていました。インドの火葬は最も
古い火葬の起源であると言われています。でも、インドのヒンズー教徒では、
焼いた「骨」を灰にしてガンジス川に流してしまうのですから、骨そのものへの
思いは無いようです。ところがインド・中国の仏教徒たちの間では、釈迦の遺
骨を仏舎利塔に安置して拝むという風習が生まれたのです。この伝統は、当
然日本に仏教が伝わってから入ってきました。仏教が広まるにつれて支配階
級の間で火葬が広まり、その骨をお墓の中に埋葬して遺骨を弔う風習が広
まっていったのです。この風習は、やがて庶民の間にも広まっていきます。
そして寺檀制度が確立される中で納骨の風習は庶民の隅々まで浸透したの
です。

 こうして、日本人の「骨」を崇拝する「骨信仰」は登場するのです。だからと
いって「骨信仰」が「骨」そのものを対象にしているわけではなく、「骨」を大切
にすることが霊を鎮めることになるという思想だったと言えるのです。しかし、
ここで考えなくてはならないことは、同じ仏教圏でありながら、お隣りの中国・
韓国にはこういう風習が国中に広まらず、日本にだけ定着したことです。これ
が問題なのです。この問題解決は、仏教伝来以前の日本人の宇宙観・世界
観・宗教観・生命観を探らなければなりません。

 前述した様に、縄文時代には既に骨を複葬する風習が日本には存在して
いたのです。日本における仏教伝来以前の世界観は、古代神道にそのより
所があるのです。古代の日本人の世界観・宗教観は、八百万(やおよろず)
神々に代表される様に唯一絶対の神ではありません。天の神・地の神が存
在し、地上の全てのものの中に神は存在すると考えているのです。“すべて
に仏性あり”と言った釈迦の思想とも共通しています。そしてその代表が「山」
信仰でありましょう。高く悠然とそびえる山に対して、畏敬の念と神の存在を
感じるのは自然の行為です。そして、その延長にあたるのが“神木”であり、
そして神の降りたもう“依代(よりしろ)”であったのです。この天地の間に林立
する垂直な何かに、神は降臨して宿っていると考えたのです。雷が大木に落
ちる光景はまさ
に神の怒りの降臨であったのでしょう。これが地上に直立した
ものを建てる“依代”の原形であろうと推察されるのです。そして、同じく直立
する人体、そしてその中を通る「柱」としての骨、これに神が宿り、霊(カミ)が宿
ると考えたのが「骨」というものに対する日本人の信仰の初源と考えられるの
です。

 日本語の「ホネ」という語源は、まさにそれを表わしています。「ホ」とは穂で
あり、炎の火()であり天を表わします。「ネ」は根であり、地を表わすもので
す。故にホネは天と地を貫く“依代”であったのです。人体の支柱である「骨」
に対して神が宿り、霊(カミ)が宿っていると考えても不思議ではないのです。
ここに、骨に「神」と「霊(カミ)」を見出していたのです。

 骨には先祖の「霊(カミ)」と「神」が宿る。それは肉体が滅びても骨だけは残っ
ている。その骨に対して“生きた霊(カミ)の存在”を、日本人は観ていたのです。
霊(カミ)は骨に宿るという根本的思想は、前述した仏教伝来後の納骨の習慣と
相まって、日本人の「骨信仰」を不動のものにしていったのです。日本人の生命
観・人体観を考える中において、この「骨」の存在はその後の日本の政治・文化・
芸道の発展形成に大きく影響をもつことになるのです。

 政治の世界においては、五世紀頃までに大和朝廷が成立し、その大和政
権は祖先が同じだと信じる人々が、氏(うじ)と呼ばれる集団(血のつながった
関係)を作り、大王から、臣(おみ)・連(むらじ)・君(きみ)・首(おびと)等の姓
(かばね)を与えられ、先祖代々決まった仕事に就いていました。これは氏姓
(うじかばね)制度と呼ばれるものです。この中に観られる氏の長を氏上(うじ
がみ)といい、氏神(うじがみ)をまつるものでした。そしてその称号が姓(かば
)であります。姓(かばね)とはまさに骨を指す言葉です。現代でも使われて
いる氏素性(うじすじょう)という言葉は血と骨を示す意味であり、同じ血縁で
あり、同じ骨相をもっているという意味なのです。骨が政治の世界にも色濃
く反映されているのです。

 また、骨のつく言葉は多く見られます。「人品骨柄(じんぴんこつがら)」「骨
がある」「骨抜きにする」「馬の骨」「気骨がある」「骨休め」「骨身に染みる」
「骨が折れる」「骨肉の争い」等、数え上げれば200種類位あります。まさに

骨が文化や言葉の中に反映されている姿です。

 また武術や医学という身体運動と生命領域においても、この「骨」の思想は
大きな影響力をもつことになるのです。

 私が30代の頃に学んでいた日本の古代から伝わる「骨法」という武術は、奈良時
代の頃、“換骨術”という名称で呼ばれていた時代があります。前述した氏姓(うじか
ばね)制度の中で、ある“骨相”をしていないと支配者階級につけなかったために、
骨相を変える=換骨が研究開発されたのです。
 例をあげれば、顔の骨相となるほお骨を高くしたり、低くしたり、あご(えら)の出っ
張りや張りを拡大縮小する技術がその代表と言われています(これらの技術は、骨
法や日本伝承医学、身体均整術の中に綿々と現在まで伝え残されています)。
またそれ以前には、身体の組織器官の反応が人体の骨にある場所に出て、そこ
に「ゆり・ふり・たたき」のヒビキを加えることで内臓や脳、組織器官の機能を発現
させる技法を開発していたのです。これが日本伝承医学の“原形”となっているの
です。以上の技法は、骨に造詣の深い骨に霊(カミ)を見た日本人故に開発された
ものと考えています。