骨は心(ココロ)を癒す(イヤス)   2017.9.4. 有本政治

 これは1998年に書いたものになります

 私はこれまで「骨を捉えなおす」と題して、人体の骨に関して従来の“骨”に
対する常識を改めるべく、奇想天外な仮説に基づいた多面的な考察を試みて
きました。そして今回、25年ぶりに『相似象』(そうじしょう)に再びめぐり会い、
また新たな骨に関する知見を得ることができました。それは、現代医学からは
到底思いつかない、人体の電気生理に基づいた、「精神現象」と「骨」との関
連を説いた日本の古代人(カタカムナ人)の驚くべき発見であったのです。

 故楢崎皐月先生と故宇野多美恵先生の著された『相似象』(カタカムナ文献)
をひも解くにあたり、私のテーマとしてきた“骨”の多面的考察に関する記載が、
必ずどこかに示されているのであろうという期待と直感がありました。そして、
その項目を発見した時の喜びは、まさに、“我が意を得たり”という思いであり
ます。そこに示された日本の古代人の骨に対する知見は驚嘆に値する内容
でありました。これにより、日本伝承医学が受け継いだ技術が、「カタカムナの
サトリ」に基づいた技術体系であったことを十分に裏付けるものであります。

 以下に、「精神現象と骨」との関わりを考察してみます。
大和言葉の中に、「カタムキ」という言葉があります。この言葉は平衡状態、
安定状態が崩れていくこと、バランスを失っていくことをあらわしています。
例えば、精神作用を表わす言葉にも心(ココロ)がカタムクと表現します。また、
物理現象においても“モノ”が動くためには、カタムキが必要です。バランスに
差異を生じないと動くことができません。

 例えば「シーソー」を思い浮かべて下さい。重さの“差”があって初めて、シー
ソーはカタムキ、動き始めます。この場合、重さの「カタヨリ」により、「カタムキ」
が生じシーソーが動くわけです。しかし、シーソーは、傾いたまま止まっていて
は、何の意味もありません。今度は逆に、戻す力、重さが働いて、平らになり、
そして逆側に傾かなければ、「シーソー」ではないのです。この「シーソー現象」
こそ、あらゆる物理現象の「動きの原理」であります。

 簡単な「コトバ」としての“カタムキ”ということは、普通には見過ごされていま
すが、実は、非常に大事な問題で、諸々の物理現象は、全てそこから始まると
言ってもよいのです。古代人の考え方は、カタムキには必ず「反」の力が働い
て、復元しようとすることが、アマ(すべての起源となるものの意)から受けた本
来性であると述べています。まさにシーソー現象です。カタムキが生じると言
うことは、何かのカタヨリが初めに生じなければなりません。

 およそ天然の現象も自然の現象も社会現象も、また、病気や精神の現象も、
皆この“カタヨリ”の相似象であります。漢方医学に代表される東洋系物理療
(日本伝承医学も含む)は、すべてこの“カタヨリ”のバランスを戻す手助けを
することが本来の目的であります。故に、漢方医学の陰陽論は、陰の気と陽
の気のバランス失調を元に戻すことを根本原理としています。その方法手段
として「鍼と灸」を駆使するのです。
 日本伝承医学においては、崩れたバランスを元に戻す手助けの手法として、
骨を使って、電気を発生させ低下した電気レベルを補充したり、骨の先端部を
使用して滞電している電気を“放電”させたりという技術を用います。中国と日本
では“カタヨリ”を元に戻す方法手段に違いがあるだけです。

 それでは、人体内に“カタヨリ”を生じる要因は何なのでしょう。この要因は、
漢方医学の理論の中に古代中国人の智恵の結集として体系化されています。
ここでは、古代日本人の精神現象と骨との関連に的をしぼって“カタヨリ”の生
じる要因を考察してみたいと思います。

 精神的失調を分類してみると、漢方医学では七情の乱れといって、「怒る・
喜ぶ・思う・悲しむ・恐れる・憂う・驚く」があげられます。この中より、怒(オコ
)と恐(オソレル)をあげて説明してみます。

 人がカッと怒ったりしますと、よく頭に血が上る、と表現します。実際に、顔が
真っ赤になったりします。またその反対に、血色をなくして青くなったり白くなっ
たりします。これは、人体内の血液の配分の失調を表わしています。
突然に恐怖に襲われたりすると、顔面が蒼白になり膝がガクガク震えてきたり、
極端な場合は、足の力が抜けて立っていられなくなったり、腰が抜けるという
現象が、例としてあげられます。

 これらは、瞬時に人体内の血液が肝臓に集められ、頭や下肢に充分な血液
が配分できなくなるからです。この人体内の血液の循環と配分は、「気」という
先導する「情報」「エネルギー」の作用があってコントロールされています。
つまり、「逆気」とか「気が上にのぼる」とか「気を失う」「その気になる」という
言葉がその作用をよく表わしています。男性器の勃起現象などはよい例で、
“その気”になると血が集まって、海綿体を膨張させて起こる現象です。これら
の「気」という概念の中には、当然「電気」・「磁気」が含まれています。この中
でも“電気”は、現代生理学においても実証されているものであります(心電図、
脳波測定に応用)

 精神感情の乱れによって血液の循環、配分が瞬時に変わるということは、
人体内の電気レベルや電気の流れ、電気の配分に乱れを生じさせていると
考えても異論はないと思われます。その情報、エネルギーとして、電気が関わ
っていることは当然と思われます。故に精神感情の乱れは、人体内の電気
レベルの低下及び電気の配分の乱れ、つまり“分極現象”を生起させることに
なると考えられるのです。

 このように人体内の電気の分極化が生起されると、人体のどこにその相似
象としての現象が起きてくるかと言いますと、その相似象は、実は、驚くことに
「骨」に現われていたのです。これは日本の古代人の偉大な発見であります。

心の現象から起こる人体内の電気の分極化の反応は、現代人一般の想像と
は大いに異なり、人体の骨と骨膜にその反応が現われるのです。以下、『相
似象』より引用させて頂きます。

 

 『言い換えれば、分極がなければ、電荷は生じない。良導体や半導体は電
気を流してしまうから分極が起こらない。絶縁体、又は誘電質とよばれる不良
導体は、電気を多く流すことが出来ぬ為に、電気のカタヨリ、即ち分極を起こ
すのである。

 骨は誘電質であるから、分極によって電荷を生じ、その電荷によって回転磁
気を生じ、電荷はグルグル回り出す。怒り狂う大波のような精神状態を起こし
ているときの骨の現象であるというカタカムナ人の直観である。

 そして、このような骨の状態は、当然、骨を覆っている骨膜に、正反性の電
気現象を誘発し、拡大共振を起こす。共振すれば電荷を増し、それによって勢
いを得てエネルギーは増える(心は怒りで荒れ狂う状態になる)

 ところで、もしエネルギーが増えなければ、分極状態は骨の中にとどまった
まま中々離れない(心はいつまでも気分は晴れず、憂鬱状態を繰り返す)

 しかし共振を起こしてエネルギーを増し骨から骨膜に共鳴吸収され出すと、
はじめは拡大共振を起こすが、次第に膜外の環境、すなわち身体の内の骨の
まわりの空間や、肉や血や皮膚等の組織から、さらに身体の外の空間の電
荷に、次々に共鳴を起こさせ、吸収されてゆく事によって、エネルギーはおお
むね熱になる(故に熱くなって汗がでたり、逆に冷や汗ともなって熱を消失させ
ている)。そして電荷がとれれば、自然に発生した異常磁気も消え、怒り心頭
の状態や、憂鬱状態もおさまります。

 カタカムナ人は、このように心の状態を身体の電気生理の物理を骨と骨膜
に観じていたと思われる。実際に我々の経験でも、カッと怒りを発散したり、泣
いたりしてしまえば、後はかえってサッパリするが、そこまでいかず、いつまで
も心が正反千々に分裂して、陰鬱な状態を続けることがある。性格にもよるが、
早くサッパリする為には、どんどんエネルギーが高まって、骨の電気の分極状
態が早くとれなければならぬ。いつまでもモヤモヤしているのは、エネルギー
が不足で、骨が分極状態にとどまり、なかなか解消できない故と考えられる。

 この状態が、甚だしくなるとノイローゼ、心身症、精神病へと移行するのであ
る。これを平常状態にもどす為には、修養の低度の人は、大抵「八つ当り」と
か「ヒステリー」とかを発して、電荷のエネルギーを増し、共鳴吸収をうながす
という、自分勝手な対応、自得手段に訴えるから、周囲は迷惑するが、本人
は痛まず、案外健康的である。又、充分にコントロールをわきまえた達人なら、
例えば、より高次の関心事へと昇華させるとか、肉体を激しく使って転化させ
るとか、そもそもわずかなカタムキの間に気付いて復元し自身も周囲も傷つ
けない。

しかし、インテリとかなまじ「修養」を志すような努力家は、カッコウつけたり、
他に向かって怒りや悩みをぶちまけるようなまねは出来ず、従って骨の分極
状態は続き、ついには精神障害を引き起こすのである。これだけにとどまらず、
そのままいつまでも痛み続けて、当然、人体の生理機能を司る五臓六腑に悪
影響をもたらし、胃、腸、肝、腎、心等に分極現象によっておこる電気欠乏状
態を引き起こさせ、ついには、悪性のガンなどの原因となってゆくのである。』

 

 日本の古代人は、このように、心の現象と人体の電気生理を結びつけて観
察していたのです。そして、その反応場所は、骨と骨膜におこることを発見して
いました。この観点にたって、日本伝承医学の電気の充電・放電のための技
術をあてはめてみると、実に見事に符合しています。

 日本伝承医学の後頭骨を擦過する技術(後頭骨擦過法)、手の親指を擦過し
ながら引き抜く技術(親指擦過法)、足の指を引き抜く技術(足指引き抜き法)等
は、骨や骨膜に起こっている、電気の分極状態を“放電”させる為の技術、
また、三指半操法(カカト落とし)や心臓調整法、リモコン操法等は電気エネル
ギーを補う技術として、はっきりと認識することができるのです。

 特に、放電法としての後頭骨擦過法は、精神状態を安定させる技術として
伝授されています。少し考察を加えれば、人のしぐさの研究でも、恥ずかしい
時、バツが悪い時等に、頭をかいたり頭をポンと叩いたり、無意識に後頭部に
手をあてたりします。これらは精神状態を安定させる、無意識の修正行動とし
て捉えることができます。また、自閉症や精神疾患の人が頭をかきむしったり、
叩打したり、壁に頭を打ちつけたりします。これらも無意識的に頭部に起こっ
ている電気の分極状態を変える対応手段です。これを技術的に完成させたの
が、滞電した電気を放電させる日本伝承医学の後頭骨擦過法であります。

 人の無意識にとる“しぐさ”及び姿勢の研究は、心理学の立場から、最近、
研究対象にあがるようになってきました。日本の伝統的な健康法(均整術、野
口体操等)の中に、姿勢と心の状態が、伝統的に研究されているのも、「カタカ
ムナのサトリ」の一端が受け継がれていたのかも知れません。骨に電気を発
生させたり放電させたりする日本伝承医学の技術は、古代人の発見した人体
の電気生理と受け継いだ技術と照らし合わせると、実に見事に一致します。
後頭骨擦過法や顔面部を擦過する自律神経調整法等は、まさに「骨はココロ
をイヤス」技法であったのです。この技術は、私の臨床経験の中でも、心を癒
、精神状態を安定させる効果の高いことを実証しています。また、交感神経
緊張状態をとる技法としても応用しています。

 日本の古代人の発見した“人体生理”の電気物理と技法が、永い時間、歴
史の変遷の中で、現在にまで伝えられてきたことに、驚きを感じると同時に、
奇跡的に蘇った理論と技術を、正しく後世に伝える責務を強く感じる次第です。

                                1998年   有本政治